2022年7月2日(土)

ヒットメーカーの舞台裏

2011年10月10日

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池原照雄 (いけはら・てるお)

ジャーナリスト

1950年生まれ。専門紙や全国紙の経済記者として自動車、エネルギー、金融、官庁などを担当。00年からフリーになり幅広い執筆、講演活動を展開。著書に「トヨタVSホンダ」(日刊工業新聞社)、「図解雑学 自動車業界のしくみ」(ナツメ社)など。

 東京消防庁からはネジや釘で固定するL型金具の多くが強度不足で大地震ではもたないと聞いていた。このため、ネジは直径が6ミリと太めのものを採用した。見るからに頑丈そうで、家具に取り付けるのをためらうほどの形状となった。ダンパーを使うことで商品価格も1万円を超えた。

 社内からは「売れるだろうか」という疑問の声が続出した。神谷も「自分でも買わないだろうなと思った」と、苦笑しながら振り返る。

 この頃、神谷は学生の協力を得て転倒防止器具に関するアンケートを実施していた。器具の普及を妨げているものを探るためだ。1000件を超える聴き取りで判明したのは、取り付けや取り外しに際し「家具や壁を傷つけない」ことへの要望の高さだった。同時に「容易な取り付け」、「震度7レベルに耐えられること」も求めていた。

安全規格が未整備なので
自主規格にこだわった

 神谷はこうした要望をそのままコンセプトにし、それまでの開発はご破算にしての再出発を決意した。家具などを傷つけ、取り付けにも手間のかかるネジや釘、またコスト高の油圧ダンパーは使わないこととした。幸い、特殊な粘着剤があった。器具と壁や家具をしっかり結合できるが、剥がす時には壁などの結合面を傷つけることなく剥離できるものだ。

 ゴムや化学品メーカーとしての技術力を基に、神谷が求める粘着剤が社内で開発されていった。最初に商品化された「L型固定式」は地震エネルギーを吸収するダンパー機能も備える。ポリウレタンフォームという固めのスポンジ状素材を緩衝材としたもので、素材の開発には同社の「20年以上におよぶ緩衝器のノウハウを生かすことができた」という。

 それぞれの製品は、大学や試験機関での耐震実験装置ですべて確認しながら、震度7に耐えうるレベルまで改良していった。転倒防止器具の公的な性能・安全規格は未整備だけに、神谷は「自主規格」ともいうべきハードルを課して性能の担保に取り組んだ。

 新商品企画室の発足から足掛け10年。開発や生産現場に従事してきた神谷の製品開発における信条は「諦めずに、どれだけ粘れるか」だという。この製品の開発経緯からも、この人の並はずれた粘りと行動力が伝わってくる。

 飾らずシンプルな信条だが、日本のモノづくりを支えてきた団塊世代エンジニアの根性がここに凝縮されているようでもある。(敬称略)


■メイキング オブ ヒットメーカー 神谷哲夫(かみや・てつお)さん
不二ラテックス 精密機器事業部 営業部制振機器販売室 上席顧問

神谷哲夫さん
(写真:井上智幸)

1947年生まれ
横浜市に生まれる。海の近くに住んでいたこともあり、小学校のときから親に買ってもらったニコンのカメラで海の景色を撮影していた。釣りにも熱中する少年時代を過ごす。
1965年(18歳)
明治大学工学部に入学。高度成長期の真っ只中で、エンジニアになろうと考えていた。できれば、趣味のカメラ関連の会社が希望だった。
1969年(22歳)
大学卒業後、カメラの露出計メーカーであるセコニックに就職。設計、製造、クレーム管理など幅広い業務に関わり、工場長も務めた。ダイビングが好きで、海にもぐりながら水中撮影に使う露出計の品質保証を行ったこともある。また、上司に反対されながらも、マークシートリーダーの開発を隠れて行い、事業化の目途をつけたこともある。
1995年(48歳)
セコニックにいた技術顧問の紹介で、当時の不二精器に転職。前職の経験を活かし、ダンパーの開発、営業、工場長などを歴任した。
2002年(55歳)
不二精器が不二ラテックスに吸収合併されたのを機に、新商品企画室に配属され、耐振装置の開発をスタート。不動王だけでなく、幅広く新商品開発を手がけたいと考えている。

 

◆WEDGE2011年10月号より

 



 


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