この熱き人々

2019年3月26日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 高校を卒業したら美大に進んで勉強しようと将来の道を定めた綿谷は、その直後に自分にはその道が閉ざされていることを知った。

 「僕は生まれつき色の識別にちょっと難があったんです。でも、そのことで美大の受験資格がないということは知らなかった。就職するにも、アパレル、デザイン、広告関係は不可だった。美大もダメ、就職もダメ。目の前が真っ暗になりましたね」

 努力してもどうにもならないことで、道が閉ざされる。絶望的な気持ちから救ってくれたのは、綿谷をファッションイラストレーターへと導いた「メンズクラブ」と穂積和夫だった。増刊号の座談会の記事で、穂積がセツ・モードセミナーで学んだという話をしているのを読み、そこは誰でも入学することができる美術学校だと知った。美大でなくても学べる。就職が無理なら、ひとりでフリーランスの道を進めばいい。

 「どこを受験するかとか迷わなくていい。受験勉強もしなくていい。選択肢がない分、絵を描くという一点に集中できました」

時代を超えて描き続ける

 強い思いと力だけを頼りに、たったひとりで道を切り拓いていく。表門が閉まっているなら、窓からでも入り込んで勝負を賭ける。セツ・モードセミナーを卒業した綿谷が、そんな背水の陣で作品を持って売り込みに行ったのが、創刊間もなかった「ポパイ」である。最初に出会い、やがて多くの仕事をすることになる「メンズクラブ」ではなかった。

 「『メンズクラブ』は子供の頃からずっと憧れていたのと、すごく絵がうまい人が多いこともあって、何か気が引けちゃって。誕生したばかりの『ポパイ』なら使ってくれるかなと思ったんです」

 持って行った作品は、当時流行っていた映画「アニー・ホール」のウディ・アレン、ダイアン・キートンなどの似顔絵や、たくさんのワークシューズを1枚の絵にまとめたもの。ワークシューズは、アメ横に通ってじっと眺め、いじくりまわして目に焼き付けたそうだ。

 そして79年、「ポパイ」でデビュー。以来40年以上、フリーランスとして第一線で活躍し続けている。途切れることなく綿谷の絵が求められたということは、綿谷の表現方法が時代を超えてイキイキと命を輝かせ続けているということだ。

 40年前の雑誌で当時の先端ファッションに身を固めたモデルの写真を見ると、懐かしさと古臭さが絡まって迫ってくる。しかし、その頃に描かれた綿谷のイラストは、今でもカッコいいと感じられる。次々と新しい流行を生み出していくファッションの世界で、写真では「そういえばこういうのあったね」という過去になっていくものが、イラストでは過去のものになっていないのはなぜだろうか。

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