総統退任後も国民のことを思い、日本の最先端のガン治療を導入するなど、台湾の医療の前進に大きく貢献してきた李登輝氏。唯一の日本人秘書である早川友久さんが、李登輝氏の大切にする「指導者の心得」を解説します。
政治家・李登輝の信念は「民之所欲、長在我心」である。1995年、現役の台湾総統として訪米した際、母校コーネル大学での講演タイトルにも使われた。つまり、国民が何を求めているかを常に心に留めて置かなければならない、という意味だ。
「みんなガンでやられてしまった」
2015年7月、李登輝は国会議員会館での講演を要請され、日本を訪問した。東京での講演を終えたあとは、仙台へ向かう日程を組んだ。2007年に訪日し、奥の細道をたどる旅をした際、松島の瑞巌寺で李登輝夫妻がよんだ俳句を刻んだ記念碑が建立されたからだ。
日程の草案を李登輝に見せたところ、やおら「東京から仙台までは新幹線か。ちょっと郡山に寄って病院を見られないか」と尋ねられた。もちろん東北新幹線は郡山を通過する。私は「行けます。調整します」と即答していた。
この問答だけでは、読者の皆さんは何が何やら分からないだろう。この会話の背景はこうだ。
2011年の秋、李登輝が定期診断を受けたところ、大腸ガンが見つかった。医師団は、90歳近い李登輝の年齢や体力を考え、開腹手術を懸念していた。
しかし、医師団との話し合いのなかで、李登輝は「ガンを完全に取り去るには開腹手術しかない、ということであれば躊躇わずに手術していただいて結構だ。患者の私が同意しているのだから何かあっても心配しないでやってくれ」と押し切ったそうだ。
結果、手術は大成功。開腹手術をしたからこそ、ガンを根治させられたのだろう。
順調に回復した李登輝だったが、あるときのこと。
月刊誌に依頼されたインタビュー原稿に使う写真を選ぶために、いくつかの候補を持っていくと、李登輝は一枚の写真に目を留めた。それは、青年時代の李登輝と家族の集合写真だった。台北高等学校を卒業し、京都帝国大学に内地留学のため出発する直前に撮ったものだという。
「ここに8人いるだろう。両親とお祖父さん、兄貴と嫁さん、そして兄貴の子供たち。このなかで生きているのは私だけ。みんなガンでやられてしまった」
「貧しさゆえに死なねばならないのか」
台湾でも日本と同じく、死亡原因の1位をガンが占めている。あまつさえ、李登輝夫妻は愛する長男を鼻腔ガンで失っている。長男の憲文は32歳、愛娘がまだ8ヶ月のときだった。李登輝も自身がガンに侵されて以来、ずっとこうした台湾の実情をどうにかしなければならないと考えていたようだ。
そんな李登輝だから、退任総統の医療顧問を務める病院の先生方とも密に情報交換をしたのだろう。日本で現在実験段階にある、中性子を用いたガン治療法(通称:BNCT)や、日本ではすでに実用段階にある陽子線や重粒子線などの治療設備が、台湾ではまだ整備されていないことが判明した。
もちろん台湾でも大規模な病院ではこれらの設備の導入を検討していたのだが、数十億といわれる資金面がネックとなり、当時はまだいつ実現するのか不明の段階であった。
「台湾の人々がガンになったらどうするのか。お金がある人は日本に行って治療を受けることが出来るかもしれないが、それには何百万もかかる。その余裕がない人はどうするのか。貧しさゆえに死なねばならないのか」。
まさに現役総統の当時と変わらず「常に国家のことを、国民のことを、頭の片隅に置いておかなければならない」をモットーとする李登輝の行動力によって、たちまちに日本における最先端のガン治療に関する情報が集められた。李登輝の親友で、当時参議院議員だった江口克彦氏にも協力を仰ぎ、筑波大学の有力な研究者を招いてレクチャーしてもらうこともあった。
当時の主だった大病院の「日本の最先端ガン治療設備をなんとか台湾に導入したい」という願いと、李登輝の「台湾の人々がそこそこの経済負担で最新のガン治療を受けられる環境をもたらしたい」という行動力がうまい具合に噛み合い、歯車が回り始めたのである。