私はこれまでの台湾取材で、たくさんの原住民族の方にお会いしてきた。最初の作品『台湾人生』で「台湾の主人は高砂族の原住民たち」と誇りを持って語ってくださったパイワン族の故タリグ・プジャズヤンさんをはじめ、日本語が流暢な人たちは「原住民」を日本語の発音で「げんじゅうみん」と言ったし、私自身も「原住民(族)」という言葉を使ってきた。
ところが、以前、別のサイトのコラムで台湾の原住民族について言及した際、「原住民(族)」の表記が「差別的なニュアンスを感じる人がいる」として「先住民(族)」と直されて戸惑った。修正の根拠は共同通信社発行の『記者ハンドブック』だという。図書館へ行って開いてみた。「差別語、不快用語」という項目の「人種、民族、地域の表記」の欄に「土人→先住民(族)、現地人」とある。が、「原住民(族)」という言葉は見当たらない。
そもそも、「原住民(族)」という言葉は差別的なのだろうか。というわけで、この「原住民(族)」という呼称について考えてみたい。
「原住民族」は彼ら自身が獲得した呼称
台湾では、太古から台湾に暮らしてきた人びとを「原住民族」と呼ぶ。現在、台湾政府が認定している16部族で約55万人。台湾の全人口のわずか2%ほどだが、17世紀以降、漢民族の移住が盛んになるはるか以前から、彼らは台湾の住人だった。彼らの呼称は時代とともに変遷してきたが、台湾の民主化が進んだ1994年、彼ら自身が主張する「台湾のもともとの主人」という意味の「原住民」が憲法の追加修正条文に明記された。97年には「原住民族」とされ、いまに至る。
彼らが自ら主張する呼称を獲得するまでには、長い道のりがあった。清の時代は「番人」(漢民族化した民族は「熟番」、そうでない民族は「生番」)、日本統治下では当初「蕃人」と呼ばれた。「蕃」は「蛮」の同意語で、「未開の」「野蛮な」といった意味。のちに「高砂族」とされたが、これは台湾総督府が1923年、裕仁親王(のちの昭和天皇)が台湾を訪問したのを記念し、「蕃人」を「高砂族」に改めることを決めたためだ。とはいえ、当時の新聞記事や在台邦人の口から「蕃人」という言葉が消えることはなかった。
第二次世界大戦後、台湾統治を始めた中華民国は、高砂族を「高山族」に変え、のちに「山地同胞(山胞)」とした。台湾のもともとの主人たちは有史以来、時の外来政権により呼称を与えられ、社会の周縁に追いやられ、それらを甘んじて受け入れざるを得ない立場に置かれてきた。2016年、蔡英文総統が就任後、初めて迎えた「原住民族の日」(8月1日)に原住民族の過去四百年の苦難に対して謝罪したことは記憶に新しい。
1980年代に入り、台湾社会全体が民主化への歩みを進める中で、彼ら自身も権利回復運動を展開していく。84年、大学で学ぶ若者や長老教会関係者らが中心となって「台湾原住民権利促進会」を発足させ、88年には17条の「台湾原住民族権利宣言」を発表。「台湾原住民族」の名のもとに、土地の返還や自治の実現などを要求したのだった。