どこまで代替できるかはわからないが、医療や介護は有望な分野だろう。財政赤字に頼ることなく、必要な消費税上げを実施し、適正な報酬を介護スタッフに支払う仕組みを構築していくことが欠かせない。
(3)の「過剰福祉」についても、子ども手当や、高齢者の負担を緩和する高齢者医療制度改革など、不安になる政策が目白押しである。大阪の例にみるように、一度拡大させた福祉を縮小することは極めて難しい。ちなみに大阪市は、全国でも珍しい高齢者向け市営交通無料パスを、議会の反対でいまだに有料化できないでいる。
必要なのは民間活力
増える生活保護費をめぐる大阪の苦悩は深い。元奈良女子大学教授の木村陽子氏は言う。「現在、大阪市の生活保護受給者は高齢単身の男性が多い。彼らの多くが、高度成長期に家族のもとを離れ、職を求めて中国・四国・九州から大阪にやってきた人たちであり、シングルで、雇用も非正規であったと考えられる。現在、日本全体で30~50代の非正規で未婚・単身の男性が急増しているが、彼らもいずれ高齢化し、生活保護受給者の予備軍となるはずだ。そうなれば、いま大阪で起こっている問題が全国に広がるかもしれない」。
かつて大阪には、「東洋のマンチェスター」と呼ばれた時代があった。日中戦争開戦前の1935年ごろまで、関西地域の工業生産(製造品出荷額等)は、関東、中部地域のそれを大きく上回っていた。その中核となったのは繊維産業だ。1882年設立の大阪紡績会社(現・東洋紡)を皮切りに、次々と紡績会社が勃興。「昭和20年~30年代にかけて繊維製品は日本の全輸出の3割を占め、まさに日本の稼ぎ頭だった」(関西大学名誉教授・大西正曹氏)。その繊維業が集積した大阪は、名実共に日本一の商都だった。
「近代大阪経済史」の著者、阿部武司・大阪大学教授はこう指摘する。
「かつて大阪経済は2回の危機を乗り越えている。1度目は江戸末期の衰退。これは鹿児島の五代友厚ら、全国から集まった民間人が強力に工業化を推進し『東洋のマンチェスター』をつくりあげた。2度目は戦時中の衰退。国家総動員法などによる集権体制の確立で大阪は大きく衰退したが、戦後、繊維業界や、大阪に根付いた松下電器産業や三洋電機、シャープといった電機業界が、経済を大きく復興させた。大阪の復活は、いつも民間活力がカギになっている」
不景気になればいつも、政府への依存心は高まるが、時代の転換期に必要なのは、やはり民間活力なのだ。
日本経済は大阪の二の舞いか(1) 企業から見捨てられる日本
日本経済は大阪の二の舞いか(2) 産業構造変化を甘く見た大阪
日本経済は大阪の二の舞いか(3) 生き残り戦略を大阪から学ぶ
改革のキーマンに聞く 「大阪都構想は大阪をどう変えるのか」 上山信一(慶應義塾大学教授)