オトナの教養 週末の一冊

2019年5月31日

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東嶋和子 (とうじま・わこ)

科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師

元読売新聞科学部記者。フリーランスで環境・エネルギー、医療、生命科学、科学技術分野を中心に、科学と社会のかかわりを取材。主著に『名医が答える「55歳からの健康力」』(文藝春秋)、『人体再生に挑む』(講談社)など。新著に『水も過ぎれば毒になる 新・養生訓』(文春文庫)

初期設定どおりに行動する「惰性癖」

『ダチョウのパラドックス 災害リスクの心理学』(中谷内 一也 翻訳、丸善出版)

 本書によると、災害に遭遇したときに我々が犯すエラーにはさまざまな原因があるものの、長年にわたる災害研究の成果から、六つの系統的なバイアスが多くの被害を導いていることが明らかにされている。

 六つの心理的バイアスとは、近視眼的思考癖、忘却癖、楽観癖、惰性癖、単純化癖、同調癖である。本書では、六つの章でこれらのバイアスそれぞれの性質を具体的な災害の事例とともに紹介する。

 たとえば、近視眼的思考癖(災害対策のコストと潜在的な便益を考えるとき、あまりにも目先の時間範囲内で判断してしまう傾向)の章では、タイの津波に対する警報ネットワークが未整備だった経緯が明かされる。

 忘却癖(過去の災害の教訓をあまりにも早く忘れてしまう傾向)の章では、東日本大震災の被災地の一つである岩手県宮古市の事例が紹介される。過去の津波の到達点を知らせる石碑(「高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津浪 此処より下に家を建てるな」)の警告にもかかわらず、「同じ場所に港町が築かれ、一世紀と経たないうちに悲劇を繰り返すこととなった」のである。同様のことが、米国テキサス州のハリケーン被災地でも起きた。

 世界貿易センターのテロ攻撃でも、2001年の10年前からこの建物がテロの標的になっていたことを関係者は忘れていたようだ、と著者らは語る。これは、楽観癖(将来の災害が引き起こすかもしれない損失について過小評価してしまう傾向)のなせるわざでもある。

 <仮に、あるリスク分析者が、世界貿易センターの長期リース期間のうちいずれかの年にテロ攻撃のある可能性が100分の1あると推定したとしても、それが翌日に起こるかどうかと尋ねられたら、「考えておくべきリスクだが、まぁ心配には及ばないだろう」と答えたはずである。しかし、ここに落とし穴が待ち受けている。(中略)正確にいうと、100年のうち一度でも壊滅的な攻撃をうける可能性というのは63%にもなるのである。この長期的なリスクが実際のリスクなのであり、投資家が深刻にうけとめるべきものだろう。>

 「この手の見過ごしは日常生活でもよく起こる」として挙げられているいくつかの具体例に、「確かに……」と、おのれを省みてはうなずくばかりだ。

 惰性癖(新しい災害対策が使えてもその効果が少しでも不確かならば、現状を維持しよう、初期状態を変えないでおこうとする傾向)の事例で驚いたのは、欧州各国の運転免許保持者の臓器提供者としての登録率の違いだ。

 私はかねがね、日本における臓器提供の受容の低さとともに、国によって登録率が大きく異なるのはなぜだろうと疑問に思っていた。それが実は、ほぼ初期設定の影響であることが見出された、というのだ。

 つまり、運転免許証の初期設定が臓器提供者となっており嫌ならそれを外すか、その逆の設定になっているかによって、「ほぼ完全に臓器提供者登録率の国による違いが説明できたのである」。

 初期設定どおりに行動したり、初期設定を変更したがらないという傾向は、意思決定におけるバイアスの中で最も強固なものの一つだ、と著者らは語る。

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