筑波大学医学専門群を卒業後、心臓外科医として11年間勤務医として従事の後に、起業家に転身。クリニックの立ち上げから医療法人理事長、同時期に住宅型有料老人ホームを運営する株式会社を設立し代表取締役になる。
2017年には、ドクターシェアリングの発想から3つ目の事業を設立。現在日本における医療の社会問題に向き合い、2025年には54兆円(厚労省作成資料から)に膨れ上がろうとしている医療費を、10〜15兆円削減を目標に事業に取り組むAGREE代表取締役の伊藤俊一郎さんに話を聞きました。
心臓外科医を辞め起業家への道を選択
「医者から脱サラをしました」と話す、伊藤さん。そもそも医者を目指した経緯について、聞いてみました。
「サラリーマンになりたくなく、ブルーワーカー的な印象のあった医師を目指しました。祖父が養豚場や養鯉場を立ち上げた起業家・経営者であり、後に小さな町の町長を24年務めていたこと。また父も20人程度の従業員を雇用する食品製造業の経営者であったことから、祖父や父の背中を見て育ったことが影響しているかもしれないです。医師を目指した理由は正直実家の事業を継ぎたくない思いが強かったことから選択した経緯もあります」
また学生時代については、
「スポーツや勉強は負けず嫌いであったということもあり得意でした。一方でルールに縛られることに関しては極端に嫌っていたように思います。またあまり授業を落ち着いて聞くことの出来ない生徒であるものの、勉学は自己学習して良い成績を取るタイプであまり先生に好かれない学生でした」
と話します。
100点満点が求められる仕事
患者を救う尊い仕事の医師。しかし伊藤さんは、
「患者さんを治療によって、病気をする以前の状態に戻すことで、初めて100点満点になりますが、実際には、そんなことは多くありません。常に完璧を目指しても95点を取るのも中々たいへん、50点レベルの結果となることもあります。また、最悪命を救うことができないということもあります。
医師としての経験を10年重ねた頃、
そのように考えるようになったそうです。
国による診療報酬改定の影響から、手術後2週間程度で退院を促すといった状況にも、伊藤さんは疑問を感じていたそうです。
「ホスピタリティーが語源のホスピタルが、全くホスピタリティーを感じられませんでした。そこが今の日本の問題・課題で、リカバリーレベルの低い患者さんをどんどん退院へと持っていくことが果たして良いのか? また、そのような状況で自宅に戻ってきても、その対応に家族は困り果てることが目に見えています。だからこそ、高齢者のためのサードプレイスが必要と感じました」
こうした背景があって、伊藤さんは起業を決意したのでした。