もちろん、これらの措置には限界がある。EFSFにしても融資能力は合計で4400億ユーロ(約44兆円)と巨額だが、域内大国のスペイン、イタリアの資金繰りが行き詰れば不足する。また、フランスやオーストリアの格下げで、最上級格付けを維持する場合には融資能力は2700億ユーロにまで下がってしまう。
一方、信用を供与するドイツなどでは、一方的に負担ばかりが強まることへの抵抗感が強い。そもそも、当面の資金供給をしても対症療法に過ぎず、抜本的な財政健全化が実現されなければ欧州の債務危機は根本的には終わらない。
しかし、EU域内の国と金融機関に対する強力な流動性供給策は、イタリア、スペインの資金繰りが完全に行き詰らないかぎり、ギリシャが無秩序には破たんしないことを示している。EFSFにしても、格下げに甘んじれば、貸付金利が上昇する可能性は強まるとしても、4400億ユーロの融資能力は維持される。
EUは役割分担を踏み外せない
EUの債務危機対応では、ECBと各国に守るべき役割分担があることも見逃せない点だ。それは、ECB創設や通貨統合を決めた1992年のマーストリヒト条約制定の背景に、ドイツやその他EU諸国の強い思いがあることから来ており、このことを少し歴史を振り返りつつ見てみよう。
EUの通貨統合が決まる前の80年代までは、通貨の安定を重視して中央銀行の独立性を強く意識するドイツの考え方(エコノミスト派)と、経済成長を重視して中央銀行に政府との協調を求めるフランス等の考え方(マネタリスト派)が長らく対立してきた。
当時、インフレ抑制と通貨安定を最重視するドイツは、経済統合を通貨統合の前提として強く求め、中央銀行の独立性を強く主張した。一方、国によっては、ドイツのやり方に合わせると、たしかに強い通貨は創出されるが、経済金融基盤が強いドイツにEU全体の金融財政政策が握られてしまうのではないか、あまりにインフレ抑制的なドイツの金融政策では自国経済は停滞してしまうのではないかとの懸念があった。
現に、考え方の相違が続いていた89年4月に通貨統合に関する報告(ドロール報告)がまとめられたが、そこでは域内市場統合を欧州中央銀行設立と単一通貨導入に先行させる案が示されている。
ところが、ドロール報告の2年半あまり後の91年12月にまとめられたマーストリヒト条約(調印は92年2月)では、エコノミスト派のドイツとマネタリスト派のフランス等の国々が歩み寄っている。
その背景には、89年11月にベルリンの壁が崩壊して、その後東西ドイツの統合が実現したことがある。ドイツにとっては、悲願であった東西ドイツの統一をEU加盟国に認めさせることが重要となり、東西統一を認めてもらう代償として、安定した通貨価値を維持するというコンセプトは守りつつも、ドイツマルクを放棄したのである。
片やドイツ以外のEU諸国に、統一してさらに大きくなるドイツを、戦前のナチスドイツのようにしないようEUにつなぎとめておく重要性が一段と強く認識されることになったことも、両者歩み寄りの大きな背景となった。