(写真・湯澤 毅、以下同)
文豪・志賀直哉の「城(き)の崎(さき)にて」で知られる兵庫県豊岡市の城崎温泉には、一風変わった「おきて」がある。
それぞれの旅館やホテルにある温泉の浴槽の大きさが一定の広さ以下に制限されているのだ。
旅行客は温泉宿の湯に入るのではなく、もっぱら浴衣(ゆかた)、に着替えて手ぬぐいを持ち、温泉街に7つある「外湯」へと出かけていく。たいがいの旅館がフロントでバーコードの付いたカードを渡し、客は外湯の入り口でそれをかざして無料で入浴する仕組みだ。
川沿いに柳の木が植わり木造3階建ての旅館が並ぶ温泉街を、浴衣でそぞろ歩くのは何とも情緒がある。最近は欧米を中心に外国人観光客の間で大人気の観光スポットになっている。
実は、浴槽制限には昔からの城崎温泉の哲学が隠されている。「まち全体がひとつの旅館」という考え方だ。それぞれの旅館は「客室」で、駅が「玄関」、道は「廊下」、土産物屋は「売店」で、外湯が「大浴場」。スナックやバーもまちなかに並ぶ。
有名温泉地の大ホテルによくある、スナックやカラオケからラーメン屋まで館内にそろっているというスタイルとはまったく逆なのだ。温泉街全体が豊かになり、まちとして活気にあふれることで、皆が潤う。そんな「共存共栄」が基本になっている。
このコンセプト、昨日今日に始まったものではない。大正14年、1925年5月に発生した北但(ほくたん)大震災によって、城崎の温泉街は完全に破壊され、発生した大火によって、ことごとく焼失した。当時の温泉旅館の主(あるじ)たちは、街路を整備し、元の木造建ての旅館を再建すると共に、共存共栄のルールを決めたのだ。今も、まちなかには「共栄なくして共存なし」といったキャッチフレーズが貼られている。
そんな城崎のコンセプトが、ここへ来て新たな花を開き始めている。まちなかに新しいお店が次々とオープンしているのだ。老舗旅館を継いだ若手経営者を中心に、自分たちのまちに「再投資」するようになっている、というのだ。大きなきっかけは、外国人旅行者の急増だ。世界の観光地としてどう城崎温泉を磨いていくのか。そう考える経営者が増えているという。