8月5日、インドのモディ政権は、72年間にわたって続いてきたカシミール政策を転換、ジャンムー・カシミール州の自治権を剥奪する決定をした。同州は、インドとパキスタンが領有権を争うカシミール地方におけるインドの実効支配地域である。
カシミールは、かつて、カシミール藩王国の領土であった。1947年に英国のインドに対する植民地支配の終了とともにインドとパキスタンが成立、カシミール藩王国の旧領土は、3度にわたる印パ戦争と中印戦争を経て、インド、パキスタン、それに一部が中国の実行支配下にある。インドが実効支配するジャンムー・カシミール州は人口の大半をイスラム教徒が占めており、インドからの独立やパキスタンへの編入を求める分離主義者のテロ活動を生む背景となってきた。
インドはこれまで憲法370条によりジャンムー・カシミール州に対して、一定の自治権を含む特別な地位を与えてきた。具体的には、防衛、外交、通信、金融の主要分野を除き、立法上の自治を認め、州が独自の憲法と旗を持つことを許容してきた。州外のインド人が同州において物件を購入することや、定住することも禁止している。これは、カシミールの歴史的な独自性をインドの民主主義の伝統に組み込む一方で、分離主義者の反乱とパキスタン由来のテロを拒絶することを企図していた。
モディは、なぜこのタイミングでカシミールの自治権を剥奪する決定をしたのか。一つの理由は、カシミールには現在、 選挙された政府が存在しないということである。法律により、特別な地位を剥奪する場合は、地元議会の同意が必要である。今、その同意は、選挙が行われるまで州を管理している知事によって与えられる。モディはまた、8月15日の独立記念日の演説でこの決定に言及したいと思っていたようである。
もう一つは、地政学的な要因である。7月にパキスタンのイムラン・カーン首相が訪米、トランプと会談した時に、トランプは「モディ首相に頼まれているので、カシミール問題の仲介をする」という信じがたい趣旨の発言をした。トランプは、アフガニスタン戦争を終わらせ米軍をアフガンから早く撤退させようと、パキスタンの協力を得るべく、パキスタンの歓心を買うようなことを言ったのであろう。カシミール問題については、インドはパキスタンとの2 国間で解決していくというのが基本的な姿勢である。モディがそのような仲介を頼むことは考えられない。他方、パキスタンはずっとこの問題の国際化を狙っている。今春の総選挙で、モディ率いるインド人民党(BJP)は憲法370条の廃止を公約に掲げていたが、トランプの発言が、長い間モディの頭にくすぶっていたカシミールの特別地位の撤廃を行う決定を後押ししたのではないかと思われる。
今回のモディ首相の決定は、70年間以上も存在してきた秩序をひっくり返してしまうものである。関係国や関係住民の関心にある程度応え、関係者も尊重してきた秩序がなくなると、関係者はそれぞれ新しい事態にいろいろな対応をしてくるだろう。それがどういう結果につながるのかを見通すことは極めて困難であり、そのこと自体が情勢を不安定化することにつながる。
今回の決定は、インドが占拠するカシミールのヒンズー化につながるものであり、地元のムスリム教徒がどう対応するか、パキスタンがどう対応するか、今後注意深く見ていく必要がある。さらに、パキスタンと「全天候型の戦略的協力関係」にある中国が、パキスタンの側に立って、どういう行動に出るかにも注意する必要がある。今のところパキスタンは、インドとの武力衝突は望まないとしている。しかし、核兵器保有国である両国の対立には、常に核戦争になる危険が付きまとう。
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