『TRICK』シリーズや映画『十二人の死にたい子どもたち』の堤幸彦、『モテキ』やNHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』の大根仁、『ROOKIES』『義母と娘のブルース』の平川雄一朗など、気鋭の演出家が所属する、オフィスクレッシェンド代表の長坂信人さんは、1970年に名古屋の東海中学に進み、そのまま内部進学を果たした。
ところが、高校2年で岡崎高校(岡高)に転校、76年に同校を卒業している。実は東海高1年時3学期の期末試験のタイミングで停学処分を受け、そのままでは進級できなくなった。
そこで岡崎高校の補欠募集に応じ、2年から入学できたというのが真相だ。長坂さんは両校を愛し、双方の同窓会にも積極的に関わっているが、にしても、岡高は「救世主のような存在」だという。実に義理堅くも、岡高への感謝をこの場で表したいとおっしゃるので、出陣願った次第だ。
徳川直参旗本の血筋
そう。長坂さんにはそんな侍スピリットが流れている。そもそも長坂家といえば、三河の松平家(後の徳川家)に仕えた直参旗本の血筋。先祖の長坂血鑓九郎(信政)の武具は岡崎城内に展示されてもいる。初代様から数えて長坂さんで21代目。厳しい祖母からも、そう言い聞かされて育ったという。
「小学校は地元の愛知教育大学附属(岡崎小)に通いました。中学まであったんですが、高校は当時なく、それで親も中学受験を考えたんだと思います。でも後付けの偶然で僕が高校入学時の年に愛教大の附属高が刈谷に開校しましたけどね(笑)
東海を受けたのは父の思いつきで、理由は今もってよくわからない(笑)。祖父は歯科医で県会議員を3期務め、父は胸部外科医になって、総合病院経営をしていました。祖父の地盤を継ぎ、やはり議員にもなった。僕は長男なんで、そのどちらか一方でも継ぐべき立場なんです。ところが、跳ねっ返りでね。過保護というか、中学まで自転車にも乗せてもらえなかったんですよ。危ないからって(笑)。
というのも、救急外来でよく交通事故に遭った人が運ばれて来るんですが、自転車で車にはねられた場合が最も痛々しい状況なんですよ。それでずっと買ってもらえなかった。まぁ、小学校低学年で普通に、友達の自転車で練習し、乗れるようにはなってたんですが…。
小5の時かな、友達の自転車を借りて乗り回していたら、タクシーにぶつかってしまったんです。運転手は心配するけど、怪我もなかったし、その場は『いいです』と振り切った。しかし、自転車は大破ですよ。狭い町だし、親にもバレて、こっぴどく怒られました。だけど、もし東海に受かったら、自転車を買ってくれると言われてね。まんまとだまされ、話に乗った感じです(笑)。高校受験をしなくて済むし…」