40歳を超えた2006年に作家デビュー後も医師として勤務し、現在は放射線医学総合研究所の研究員を続けながら、旺盛な作家活動を繰り広げる海堂尊さんは千葉県立千葉高校出身。近隣に千葉工業高校もあることから、“ケンチバ”の愛称で知られる同校は、昨年創立140周年を迎えた、県内屈指の進学校だ。
著名出身者も枚挙に暇なく、海堂さんのようにいわば二足のわらじを履く人に限っても、数多くの名画のポスターのイラストも手がけた音楽・映画評論家の野口久光、歯科医師としての勤務経験も持つミュージシャンのサエキけんぞうらがいる。
「我が家は教員一家なんです。両親とも教員でしたが、親戚一同、小中高なんらかの学校に勤めてました。自宅も千葉大学の近くで、駅でいうと西千葉ですね。子どもの頃は大学のキャンパスが遊び場でした。千葉大は他に松戸や柏にもキャンパスがありますが、千葉高に近い亥鼻(いのはな)、駅でいうと本千葉に医学部があって、高校大学と概ねその辺りから出ていない(笑)。
公立の小中学校で学び、小学校時代は勉強しなくても成績はトップクラス。おかげでクラスの中心としてみんなを引っ張るような、いわばリーダーでした。中学でもそんな感じで、まぁ、受験の時だけは集中し、千葉高に入ると、一気に普通の人になりましたね(笑)。
負けず嫌いだったので、『これはおかしい』と多少努力してみたところで、思うように成績は伸びない。これが自分の実力なんだ—と思い知らされました。進学校にはよくあることでしょう。一方でスポーツも得意でした。小学校では春と秋には陸上、夏は水泳、冬はサッカーの学校代表といった感じ。水泳は好きだったので、中学でも続けていましたが、高校になって剣道を始めました。剣豪小説を読んだ影響ではなく、そろそろ始める時期かなと思った。吉川英治の『三国志』は小学校で読んだけど、『宮本武蔵』は未読なんですよ(笑)。
高3の夏休みまでは剣道部中心の生活でした。引退後に受験勉強を始めたので、一浪は覚悟していました。先生も『君たちの進路など我々には興味がない』というスタンスを取るんです。そこがいかにも旧制中学の系譜ですが、大人扱いはしてくれていた。武道は授業では柔道を選択したけど、そちらはあまり面白くなかった(笑)。剣道は大学でも続け、医学部では主将も務めました」
医学部に進んだくらいだし、理系少年と思いきや、「自分は文系人間」ときっぱり。医学部=理系というのは誤解で、大切なのはロジカルシンキングだと語る。
「高校時代、好きな教科は世界史と物理でした。日本史にはさして興味が湧かなかった。日本は小さい島国でしょ。その歴史も世界史のごく一部なんです。そんな単純な理由。試験向けの勉強は淡々とやってましたけどね。その点、世界史は試験範囲を超えてのめり込んだ。あまり点数には結びつかなかったけどね(笑)。
一方、物理は得意でした。でも、数学は苦手でね。物理と数学は似ているようで、全然違う。例えば物理の1はリンゴ1個と、ちゃんと具体的な裏付けがあるけど、数学の1は抽象概念。それがどうしてもわからなかった。数学がなければ、現役合格できたと思う。予備校に入って、数学だけを徹底的に学んだら、不思議なくらい理解できるようになりましたけどね。
小学校以来、周期的に多読する時期がありました。手当たり次第の乱読です。『シャーロック・ホームズ』で探偵に、『ファーブル昆虫記』では昆虫学者に憧れ、物語を作るのも下手じゃなかった。『三国志』に刺激を受け、6年の時には初めての連載小説を書きました。タイトルも『四国志』(笑)。クラスのみんなが面白がって回し読みされ、最終的に大学ノート3冊分の3部作になりました。
読書は大好きで、中学から大学にかけては年間100冊くらいは読んでました。10月に80冊ぐらいだと、最後の2カ月に無理してでも20冊読み、100冊に到達させるといった感じです。高校では読んでいて気に入った文章も読書ノートに書き写しましたが、ぜいぜい1冊で2〜3カ所でした。それでも、5〜6冊分は溜まりました。
中高時代は海外ミステリーにハマり、アガサ・クリスティやエラリー・クイーン、ディクスン・カー、レイモンド・チャンドラーなんかを読む一方、日本の作家で熱中したのは筒井康隆でした。特に実験的な作風となってからが、『言葉でこんなことができるんだ』と驚きの連続だった。小説っていうのは、何でも自由に書いていいんだ、ということを教わった気がします。」
筆者は海堂さんより5つ歳下だが、共通するカルチャーの下で育ったので、この辺りから話は脱線した。執筆中に「テーマソング」としてJ-POPをBGMにするという海堂さんだが、当時は歌謡曲の全盛期。よく聴いた歌手として名前が挙がったのも天地真理、キャンディーズ、渡辺真知子、原田真二、そして太田裕美…。
たまたまかも知れないが、すべて当時のCBSソニー所属で、サウンドも洗練されていた。洋楽は今でも「耳から耳へ抜けてしまう」らしいが、千葉高在校時、級友たちにはロック談義に耽る連中も多かったとか。
「進学校だからといって、特に哲学的な討論などもせず、普通の高校生が普通に遊んでましたよ。当時回覧するといえば、『少年ジャンプ』。江口寿史の『すすめ!!パイレーツ』は千葉が舞台で、深く地元愛があふれたバイブルですね(笑)。剣道漫画では、『六三四の剣』は部員のバイブルでした。作者の村上もとかさんとは後に対談もしました。
例の抜き書きのノートにはリルケの『マルテの手記』、ドストエフスキーの『罪と罰』などの一部を書き写したことは覚えています。大学でプルーストの『失われた時を求めて』も見栄で読破しましたが、冒頭の『紅茶とマドレーヌ』の挿話に引き込まれる体験をしましたね。