3番目に公認されたのは「地下中国共産党員」疑惑がついて回るほどの親中左派で、「ダークホース」と評されてきたC・Y・リョン(梁振英)氏である。同氏は、1954年、警察官の家庭に生まれ、苦学したのち測量士としてビジネスの才覚を発揮し、70年代末からは頻繁に訪中して土地問題に関する顧問的役割を務め、中国と深い関係を築いてきた。香港政界では若くして香港基本法制定委員に選ばれたことで注目された。前職は香港政府の諮問機関である行政会議の招集人であった。董建華初代行政長官の補佐役時代の言動で市民の反感を買った過去もあり、当初は150名の推薦者の獲得も危ぶまれたが、最終的には305人の選挙委員の推薦を得た。
つまり、冒頭で今回の選挙が「分裂選挙」であったと述べたように、広義の「体制派」(財界+高級官僚、親中左派の寄り合い所帯)から候補者が2名出てしまったわけである。口さがない香港市民は、怠惰で無能な「ブタ」対冷酷で腹黒い「オオカミ」の戦いと評した。前者は高官としての実績がないタン氏、後者は野心的なリョン氏を指す。いずれも人望がない人物からの選択という悲喜劇的状況に立ち至ってしまったのである。
中国の思惑を覆した「オオカミ」の根回し
では、中国はこの選挙にどのようなスタンスで臨んでいたのだろうか。この問いは、選挙の位置づけと直結する。行政長官選挙については直接選挙導入が民主派から求められており、中国側も次回17年の選挙で導入するとしている。ただし、直接選挙といっても、親中派のみ立候補を認めるなど好ましくない結果を予防する仕組みが施されるだろう。今回新しく選出される行政長官はまさにこの「直接選挙」を準備する役割を担うわけであり、したがって、中国にとって御しやすい人物が選ばれることが望ましいのは言うまでもない。最低でも、候補者乱立や白票多数により選挙が流れるような混乱を避ける必要があったのである。
経歴から示唆されるように、すでに江沢民時代から「次期長官はタン氏」というのが北京の方針であった。ところが、リョン氏は時間をかけて根回しをし、支持する人々も大陸・香港双方に現れてきた。リョン氏の立候補が公認されたことは既定方針の変更を意味し、それ自体興味深い。並行して発生した薄熙来重慶市委書記の失脚など北京の政局と直結して論じる論者もいるが、筆者は別々のことと理解している。中国の人事用語で言えば、「徳と才」で上回った、つまりイデオロギー面で近く、能力がより高そうなリョン氏が捨て難かったのではないか。いずれにせよ、結果はともあれ「分裂選挙」やむなし、という流れになったことになる。
中国による選挙干渉
スキャンダルの「封印」と「暴露」
本選で中国の干渉がどのように行われたのか。チャネルが複数あるため、複雑である。目立ったものだけでも次のような動きがあった。
香港では、中央政府の代表部である「中央政府駐香港連絡弁公室」(中連弁)があり、北京と香港のコミュニケーションを担っている。中連弁が立候補に必要な150名以上の選挙委員獲得に尽力したとか、2月に浮上したリョン氏のビジネス面でのスキャンダル疑惑を封印すべく働きかけた、と報道されたことで、北京は「タンを棄てリョンを保つ」方針に傾いたとの観測が広まった。他に立候補の意欲を示した者も複数名いたが、断念させられた。
一方、タン氏に対しては、プライベート面でのスキャンダル暴露の嵐が襲い掛かった。しかも高級紙「明報」がタン氏を攻撃したため、インパクトは相当大きかった。各種の香港市民の支持率調査でタン氏の支持率は選挙戦を通じて20%程度と低いままであった。