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チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年4月11日

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城山英巳 (しろやま・ひでみ)

北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院教授

1969年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、時事通信社で2度の北京特派員を経て現在、北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院教授。早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程修了、博士(社会科学)。近著に『マオとミカド』(白水社)。

 娘・薄小瑩の回想によれば、薄一波は人民日報の切れ端にその日考えたことを書き連ねて「日記」としていたが、67年2月5日にはこう記していた。

 「ここ数日間、妻の死を除き、子供たちはどんな生活を送っているか、ということばかり考えている」。その直後も「私の頭の中は絶えずあなたたち(家族)だけのことを思っている」と綴っている。

 薄一波は、文革中に相次いだ自殺を拒み、頑強な精神を持ち続け、77年には子供たちに「心にやましいところは全くない」と手紙を送っている。結局、改革・開放が始まった78年暮れになってようやく名誉回復を果たした。息子・薄熙来が北京大学に入学したのも78年2月で、既に28歳になっていた。 

 解任後、党中央規律検査委の調査を受ける薄熙来は、権力闘争で失脚した父親のことを考えているに違いない。そして政治闘争の渦中にいる自分と父親を重ね合わせているだろう。

 文革の悲劇を痛いほど知る薄熙来がなぜ、重慶で文革を想起させる政治手法を取ったのか明らかではないが、前述した通り、毛沢東の政治手法を模倣するための意味しかなかった、というのが大半の見方である。

刑事訴訟法改正 「秘密拘束」規定という矛盾

 今回の全人代の閉幕記者会見で温家宝首相は、「文革の悲劇を繰り返す」と政治体制改革の必要性を訴えたが、その同じ日、同じ人民大会堂で、刑事訴訟法改正案が92%の賛成票を得て採択されたことに、矛盾を感じた知識人や弁護士たちは多かった。

 刑訴法改で焦点となった「第73条」が文革時代を思い起こさせる「悪法」(中国司法学者)だからだ。国家安全に危害を与える容疑などを対象に、当局指定の秘密の場所に拘束することを可能にしたものであり、こうした容疑で拘束された場合、容疑者の家族に通知しなくてもいい「秘密拘束」規定も明記されたのだ。

 胡錦濤指導部が主導した刑訴法改正が採択された翌日、公から姿を消し、秘密の場所に連れて行かれたのが薄熙来というのは、皮肉と言う以外にない。文革で迫害された薄一波らかつての指導者もこうやって闇に消えていった。結局、反体制的な人物を打倒する手法は、文革終結から36年が経っても変わっていないばかりか、今回は合法化されてしまったのだ。

政治改革唱えても人権侵害・法治無視が横行

 前出・北京の政治学者はこう問題提起する。「多くの人は、薄熙来が法制を踏みにじったと批判するが、同時にわが国では薄熙来のほかにも、現在の共産党自身が法制を踏みにじっているではないか」。

 薄熙来の解任で、薄が重慶で実践した「重慶モデル」(打黒、唱紅、共同富裕)は「崩壊」したと宣伝されているが、「胡錦濤の『中国モデル』と薄熙来の『重慶モデル』は一体どこに違いがあるのか」というのが前出・学者の見解である。

 いくら温家宝が政治体制改革を唱えようが、現実の中国社会では人権が侵害され、法治は無視され、「維穏」(安定維持)の名の下に反体制的な動きは弾圧されている。薄熙来を支持してきた保守系サイト『烏有之郷』や前出『中国選挙與治理網』などは政府に封鎖を命じられ、当局の意に添わない言論を弾圧する手法も健在だ。

 胡錦濤政権下では共産党主導で民主手続きを経ないまま政策決定が行われ、権力にすり寄った国有企業の経営者らの権限が膨張している。これこそ中国独特の統治スタイル「中国モデル」の危険な現実だ。国営新華社通信の元記者で、現代史専門誌『炎黄春秋』副社長・楊継縄は中国モデルの実態を「権力市場経済」と言い切る。

 「権力が制約を受けず、権力と資本が『悪性結合』し、民衆を搾取する。(権力と資本が結びついた)『権貴階層』に対し、民衆は非常に大きな不満を持っている」

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