この熱き人々

2020年1月23日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

自分の居場所を探して

 やっと入り口まで来てくれた人を笑いで引っ張って奥にある宝の山まで来てもらいたいという思いは、自身が初めて講談を聴いた時につまらないと感じ、やがて面白さを知って夢中になった経験からきている。

 「もし最初から面白いと感じて、その感性で講談の世界に入っていたら、今のこういう自分にはなっていなかったと思います」

 

 普通のサラリーマン家庭に生まれ演芸とは無縁だった少年が、どのように講談と出会い、才能を開花させ、人々を講談に引き寄せる存在になったのか。

 「たまたま高校生の時に、たまたまラジオで圓生(えんしょう)を聴き、たまたま談志(だんし)に夢中になり、たまたま伯龍(はくりゅう)の講談を聴きに行った。それで師匠の神田松鯉(しょうり)に弟子入りしたんです」

 確かに振り返れば偶然の重なりの結果かもしれないが、たまたまも4回続いて導かれると、もはや必然ではないかと思えてくる。それに偶然だけで、ここまでストイックに講談と刺し違えるような今の生き方はできないだろう。

 必然だとすると、三遊亭圓生と出会う前の松之丞の中に古典芸能に反応する何かがあったのかもしれない。ラジオで落語と出会ったのは、人づきあいが苦手でどちらかというと暗い思春期を過ごしていた頃だ。

 「うんと小さい頃は明るい子だったんですけど、父の死でガラッと変わってしまったんですよね」

 天真爛漫に子供をやっていられた日々は、小学校4年の時の父の死によって突如終わりを告げた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 「なんで死んだんだろうと考えちゃう。友達と遊んでいてもふっと能面みたいになる瞬間があって、どうしたのと言われる。周りと距離ができて影のようなものが自分の周りにどんどん大きくなる感じでした」

 疑いもなく続くと思っていた無邪気な日々が前触れもなく消える不安の影から自力で脱却を図るには、それまでの自分を変えざるを得ない。

 「自分の生きられる居場所、本当にやりたいものは何なんだろうと考えてましたね。死ぬまでずっと続けられて、その後も継承されていくようなものがいいなと。父はサラリーマンで、僕は父に似ていたのでサラリーマンは向いてないと思った。向いてないことはやらないほうがいい」

 

 

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