この熱き人々

2020年1月23日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

満場の客をのみ込む迫真の高座 橘 蓮二=写真

 松鯉に弟子入りする時に「自分は講談に向いている」と訴え、インタビュー記事などにもしばしば出てくる言葉だ。向いていないことをすると人生を続けられなくなる。意識下にそんな思いを抱えていた高校生が、たまたまラジオで圓生の「御神酒徳利(おみきどっくり)」を聴いたのである。

 「とっても面白くて、素人を引き付けうならせる芸ってすごいなと思ったんです」

 そこから落語に動いた。ひたすら落語を聴き、関連書籍を読み漁る高校生は、そのまま浪人生になり、立川談志の独演会に行った。2003年3月23日。演目は「らくだ」だった。

 「会場を出てもしばらく鳥肌が立ったまま。畏怖、興奮、興味、面白さといったものが押し寄せて、ピン芸がここまで人をのみ込んでしまえるのかと、当時の僕の感受性が弾けるほど圧倒的な衝撃を受けました。一生の支えになる衝撃だったと思います」

 ここから談志の追っかけとあらゆるピン芸を観に行く大学時代に突入する。そこまで落語に心が動いているのなら落語界に入門という道があっても不思議ではない。が、松之丞はじっと客席で観客を続けていた。

 「永久就職するわけですから。本当に好きなのか、向いているのか見極める時間がほしいじゃないですか。臆病なところがいい方に出て講談と出会えたわけです」

 出会いのきっかけは、談志が講談を好きだと言ったから。

 「最初は話が入ってこないし面白くも何ともなかった。でも回数券を買っちゃったので、半ば義務的に通っているうちにだんだん面白さにはまったという次第です」

 落語か講談か。心が動くものが2つ。では最後に講談に針が振れたのは何ゆえか。

 「そこで自分の気持ちの分析に入るわけですよ。自分が何に痺(しび)れたのか。談志だったのか、『らくだ』だったのか。談志の『らくだ』の何が自分に響いたのか。河豚(ふぐ)に当たって死んだ男の心理描写や人物の背景など本来語られないところも語られていて、そこに生々しく痺れた。となると、この表現って講談の緻密な表現に近い」

 落語に仕込まれた講談のエッセンスに痺れた自分が見えた。それなのに、なぜ人は講談をつまらないと感じるのか。要はとっつきにくい。入門ガイドも初心者向けCDもDVDもない。あらゆる入り口が閉じている。演芸三昧の日々を送ってきた客としての目に、足りないものがありありと見えてきたのだという。

手書きの台本「赤穂義士外伝 忠僕元助〈ちゅうぼくもとすけ〉」

「こんなにいいものなのになぜ評価されないのか。何か怒りみたいなものが湧いてきて、プロデューサー感覚で初心者のための本や解説書を出すべきだとか、常連だけでなく初めての客ものみ込む講談師が必要だとか。そこで生意気にも、自分でやるしかないかと思っちゃったんですね」

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