2024年12月9日(月)

シルバー民主主義に泣く若者

2012年4月26日

 去る2月24日、AIJ投資顧問が金融庁から金融商品取引法に基づく1カ月の業務停止命令・業務改善命令を受けた。

 原因は、主に中小企業の年金基金から2000億円余りもの巨額の資金を集めた資金の大部分を消失させ、顧客に「虚偽の法外な運用利回り」を謳ったことだった。この事件は、当の被害者はおろか日本社会全体に大きな衝撃を与えた。

AIJと公的年金 資金運用のあり方はどう違うの?

 報道を見る限り、AIJは、解約する顧客に虚偽の高利回り分を上乗せして支払うため、新規顧客から得た資金を右から左に流用する自転車操業状態だったようだ。実はこうしたAIJの資金運用のあり方は、国が営んでいる公的年金の財政方式と本質的に全く異なるところはない。

 みなさんの中には、「そんなことはない。国の年金は自分達が若い頃からせっせと積み立てたお金が、支給開始とともに利子を付けて戻ってきているのだ(戻ってくるはずだ)」とお思いの方もいらっしゃるかもしれない。だが、事実はさにあらず。

知っておきたい「年金の歴史」

 実際には、現在の勤労者から集めた保険料を現在の高齢者にほぼそっくりそのまま横流ししている。こうした財政方式を「賦課方式」といい、積み立てたお金が利子付きで戻ってくるのを「積み立て方式」と言う。

 そもそも、日本の公的年金制度の起源は、1875年に始まった海軍退隠令にまで遡ることができ、その後、官僚や教職員、警察官等公務員を対象として徐々に整備されていく。つまり発足当初は軍人を対象として始まり、次第に一般公務員にまで拡大されていった。

 それに対して、民間人を対象とする公的年金は1940年施行の船員保険法を端緒とし、44年に、それまで男子工場労働者のみだった労働者年金保険法の適用範囲を男子事務員と女子労働者にまで拡大する厚生年金保険法に改正された。要するに、民間人向けの公的年金は戦時体制下における労働者を対象とした制度ではあったが、ここにわが国の公的年金制度の原型が確立した。

 その後、終戦直後の混乱期を経て1954年に戦前の厚生年金保険法の大幅な改正を行って現在の厚生年金保険制度の基本体系が完成、そして59年には高齢者等を対象とした福祉年金制度を設立、61年に自営業者等向けの国民年金法が実施されるにおよび、全ての国民が何らかの年金制度に加入する国民皆年金が実現した。

 これを財源面からみれば、戦後の公的年金制度の黎明期には積み立て方式として開始されたものの、高齢者の無拠出年金が開始されると積み立て不足から、なし崩し的にもしくは必然的に賦課方式となり、現在に至っている。

公的年金は存続するの?

 このような変容は当時の状況を考えれば仕方のない面もある。

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