15日間の公演はしだいに評判になり、たまたま地方から見に来ていた会社社長が感動し社員に見せたいからぜひ来てほしいと頼んできたことがきっかけで、出前芝居という形が生まれた。出前の注文があれば、海辺だろうと川原だろうと喫茶店だろうと劇場だろうと出かけていく。装置は台ひとつ、衣装は凄艶(ばろ)一着である。
出前注文はやがて海外からもやってきて、ポーランド、スウェーデン、ドイツ、オランダ、ペルー、ブラジル、デンマーク、イギリス、韓国、インドネシアと10カ国にも及んでいる。海外でも土佐弁のまま。もちろん字幕もなしだ。後ろ向きの人を前に向かせた坂本のパワーは、言語の壁すら楽々と乗り越え、客は思い思いの方法で時に日本より激しく感応し感動を伝えてくれたという。
出前芝居を始める頃から70分の芝居に書き直して、52年間、1200回以上の舞台を重ねてきた。それでもなお、毎回怖くて緊張するという。公演の度に、台本を一文字一文字手書きで写して臨む。
「目を閉じたままの芝居だから暗闇のまま。相手もいない。全力で集中していないと真っ白になる。爺さんの世界から一度外れると戻れなくなる。セリフが飛んで、目を開けて今日はここまでにしてくださいと謝ろうと思ったこともある。それが怖い。今でもずっと怖いです」
38歳で80歳を演じた坂本は、いつか役の年齢に追いつき、そして追い越した。30代、40代では毎回汗びっしょりになったという。80歳の老人に押さえ込まれた若い肉体のエネルギーが汗になったのだろうか。年齢が役に近づくにつれ汗はかかなくなり、同じ年齢になった頃に爺さんが自分の中にストンと落ちてくるのを感じた。爺さんと自分の境目が曖昧になって、同化したような気分を味わったのだという。
最初は苦しさのあまりいっそ爺さんを殺してしまいたいとまで思ったというが、それでもやめることはできなかった。「爺さんに惚れちゃったってことなのかな」と坂本は言う。土にまみれてケの日を生き、祭囃子でハレの日の喜びを爆発させる土着の民の思いを吸い込んで育った坂本の芝居へのマグマは、「土佐源氏」の爺さんとの出会いで地上への噴出口を得たのかもしれない。今では命ある限り、100歳になっても這ってでも演じたいという。
「そう言うと目標みたいに固くなるけど、やっと力が抜けてきて、爺さんともう少し遊んでみたいという気分かな」
家族も持たず、世俗的な欲も持たず、難しいことを声高に言わず、出前芝居の注文があればどこにでも出向く。ただただ心の中に渦巻く熱いものに忠実に生きてきた男は、毎朝、木刀を100回振り、買い物も病院へもすべて徒歩。途中で格好の岩などあれば、ついでにストレッチを試みる。その姿に、日々の暮らしの隅々にまで息づいている強靭な役者魂が感じられた。
グレート・ザ・歌舞伎町=写真
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