「まったく関係のない方々が汗水たらして、瓦礫の撤去作業や苗作りの手伝いをしてくれている姿を見て、この気持ちを無駄にしてはいけないと思ったんだ。ちゃんと農園として復活させ、私らの元気な姿を見せることが、彼らに対する恩返しなるというのが、私らの結論だった」
半壊した農園を持つ農家数名が「俺らもやる」と、前を向いた。一方、農園が全壊した農家は「もう年だから」「無理だよ」と、一緒にやる意思を示さなかった。山中さんらは「今は仕方がない」と、その意思を尊重した。
「まずは私らが農園を繁盛させることだと思った。人間は競争心を持っているから、うまくやっている私らの姿を見れば『俺もやってやろう』って気力が湧くはずだと」
こうして2012年のシーズンに向け、7つの農家がいちご栽培をスタート。塩害の畑には、土壌改良材を撒き、なんとかいちごが実る状態にまで戻した。放射能物質の検査もしっかり行い、すべて不検出であった。
放射性物質に加え、アクセスの問題も
しかし冒頭で触れたように、2012年シーズン、いちご狩りのお客さんは増えなかった。
その要因の一つは、いちご狩りの客層が、小さい子どもを持つ家族や若い女性が多く「心配だから……」と敬遠したことが挙げられる。
客足が伸びなかったのには、もう一つ理由がある。それは「相馬市の孤立化」である。現在(6月1日現在)、相馬へのアクセスは、仙台方面からは津波の被害による常磐線の運休でバスに頼らざるを得ず、一方、いわき方面からは原発事故による通行止めにより遮断されている状況だ。同園の客層は仙台やいわきからも多いのだが、相馬に行く手段がない状況なのだ。実際、同園の受付施設には「行きたいけど、行くことができません。頑張って!」などの手紙が多く貼られていた。
「安全の根拠」を示す重要性
このように原発事故と津波による様々な要因が重なって、同園の客足は伸びなかったといえる。それでも山中さんは「相馬は美味しい魚や貝などが観光源でもあり、海の恩恵を受けている土地だ。津波は受け入れている」ときっぱり話す。
余計なのは「福島の原発は建設前からずっと反対していた」と話す福島第一原子力発電所の事故である。放射能物質を撒き散らすだけではなく、道路の閉鎖によって、相馬を孤立化させた原発事故は到底受け入れられるはずもないのである。