2024年4月27日(土)

野嶋剛が読み解くアジア最新事情

2020年9月6日

ドニー・イェン(イップ・マン)(c)Mandarin Motion Pictures Limited, All rights reserved.

  香港で実在した拳法家・イップ・マン(葉問、(1893-1972)をモデルにした映画イップ・マンシリーズの最終作となる 「イップ・マン 完結」が、新型コロナウイルスのため予定よりも遅れたものの、いま、全国各地の映画館で上映が広がっている。そのなかの見どころは、なんといっても、現実でも、映画の中でも、イップ・マンの弟子として拳法を学んでいたブルース・リー(李小龍)との絡みから浮かぶ2人の奇妙な師弟関係のありようではないだろうか。

 筆者は8月に刊行した新著『香港とは何か』(ちくま新書)のなかで、香港映画を通した香港史理解の方法を提示し、特に、1970年代に世界を席巻したブルース・リーの一連の作品と、2000年以降に世界的なヒット作となったイップ・マンシリーズは、現実と銀幕の二重構造のなかで展開される二人の「共演」がモチーフとなっており、二人の関係を知っておくことは上映中の「完結」を見るための予備知識になるうえ、香港をめぐる近現代史へのアプローチにも役立つはずだ。

 「完結」は、1964年のサンフランシスコが舞台だ。妻に先立たれ、自身のガンを宣告されるなど人生の終焉に向かいつつあったイップ・マンに、米国で拳法家として活躍している弟子・ブルース・リーから招待状が届き、息子の留学先を探す目的もあり、サンフランシスコに向かった。イップ・マンは、地元の華僑たちのトラブルに巻き込まれ、中国武術を敵視する米海兵隊の体術の達人、軍曹バートンと対決する。

 名優ドニー・イェン(甄子丹)演じる「イップ・マン」シリーズは、基本的にフィクションのストリーだが、現実のイップ・マンは実際に香港でブルース・リーを弟子として詠春拳を教えた。多くの拳法を学んで傲慢な態度をほかの拳法家に見せていたブルースリーもイップマンの実力には感服して、イップ・マンを生涯、唯一の拳法の師として仰いだ。

 イップ・マンは1893年、広東省仏山で裕福な家庭の次男に生まれ、11歳のときに陳華順という詠春拳の武術家がイップ・マンの土地を借りて武術館を開いたことをきっかけに、拳法の道に入った。戦後、混乱した中国を離れて香港に移住し、武術館を開いて、その門をたたいのが渡米する前の若きブルース・リーだった。

 詠春拳は小林寺武術を源流として広東省を中心に広がっている武術。基本的に武器を使用しない「徒手武術」で、短い突き、下半身への蹴り、ブロックからの反撃などを得意として接近戦にはめっぽう強い実戦的なスタイルで知られていた。その詠春拳の技を吸収したブルースリーは渡米し、さらに技を磨いて、世界的な拳法スターの座へのぼりつめていく。

 「完結」の前のシリーズ三作目「イップ・マン 継承」(2015)でもブルース・リーが登場する。短い場面だったが、とても重要なシーンであった。

 イップ・マンのもとに弟子入りを求めてブルース・リーが現れる。イップ・マンはタバコを飛ばしてその技量を測った。タバコを見事に蹴り飛ばしたブルースリーに対して、イップマンが今度はコップの水を浴びせる。水を蹴り飛ばしたが、飛沫を浴びてしまったブルースリーを、イップマンは無言で道場の外に追い出した。

 これは「水」をめぐる二人の物語を知らないと理解できないシーンで、イップ・マンは普段から弟子たちに「水のように穏やかであれ」と教えていた。この言葉をブルース・リーは自らの映画「燃えよドラゴン」で「水は自在に動き、ときに破壊的な力を持つ、友よ、水になれ」という名セリフを吐いた。

 それから半世紀が経て、2019年の香港デモで「水になれ」はデモ隊の組織哲学になり、特定の組織や拠点をもたずに、まさに水のように実態をつかませず、ヒット・アンド・アウェイを展開して警察隊を混乱させることになった。それが、今回のデモが「Water Revolution」あるいは「流水革命」と一部で呼ばれる由縁となった。香港映画と現実の香港は間違いなく深い水脈でつながっているのである。

 イップ・マンは現実の世界ではブルース・リーの師であったが、映画の世界ではその関係は逆転した。ブルース・リー映画のあとをなぞるようにイップ・マンシリーズは登場して成功を収めた。両者の作品に共通するのは「外国勢力」の打倒だ。

チャンクォックワン(ブルースリー)(c)Mandarin Motion Pictures Limited, All rights reserved.

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