赤坂英一の野球丸

2020年11月18日

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 佐々岡真司監督(53)就任1年目の広島は5位に沈み、2年連続Bクラスに終わった。1990年代終盤から2010年代序盤まで続いた〝暗黒時代〟を思わせる雰囲気の中、球団は来季に向けて首脳陣人事を進めている。一見、地味な指導者の入れ替えだが、カープの将来に大きな影響をもたらしそうだ。

(Pete Van Vleet/gettyimages)

 まず、実に30年近くに渡り、裏方や指導者としてファームを牽引してきた水本勝己二軍監督(52)が今季限りで辞任。来季はオリックスに移籍し、一軍で作戦を担当するヘッド格のコーチに就任する。私もよく取材させてもらったこの〝縁の下の力持ち〟の流出は、大変大きな穴となるだろう。

 上は選手時代の佐々岡監督から、下はまだ二軍暮らしの中村奨成(21)や小園海斗(20)に至るまで、いまのカープに水本の薫陶を受けていない選手はひとりもいない、と言っていい。一時代を築いた黒田博樹(45)や新井貴浩(43)、堂々たる主力に成長した鈴木誠也(26)や大瀬良大地(29)、最近台頭してきた西川龍馬(25)や坂倉将吾(22)らも含めて、全員が何らかの形で水本の指導や助言を受けて成長したのだ。

 そんな自分の指導の信条を、水本はかつてこう話してくれたことがある。

 「選手のレベルは初めて見たときにある程度わかります。最初から一軍に近い力を持っているのがA。一人前になるのに何年か時間がかかりそうなのがB。プロでやっていくのはしんどいなというのがC。

 ただ、たとえ最初はCでも、何かきっかけをつかんだ途端、Aに大化けする選手がいる。新井がそうですよ。彼がドラフト6位(1998年)で駒大から入ってきたときには、まさか2000安打も打つようになるなんて、誰も想像できませんでした」

 だから、いかにしてそういう「きっかけ」を見つけさせてやるかが大切だ。あの黒田にしてもしかり、と水本は言った。

 「本当に自分に必要なものは何か、最初からわかっている選手はほとんどいません。誰もが(指導者に)やらされる練習から始めるんです。それが何かのきっかけから(自分から)やる練習に変わる。黒田もそこから大投手へと成長していきました」

 二軍の試合や全体練習のないシーズンオフも、水本は広島・廿日市市の練習場に通い、若手の練習ぶりを見つめていた。一昔前なら指導者が強制的に練習させ、口を出せば手も出すのが当たり前だったが、いまではそうはいかない。自主性が重んじられる最近は、誰がきっかけをつかみ、誰がまだつかんでないか、遠くから見極めるのもファームの指導者の重要な仕事である。

 そうした中、極めて稀にではあるが、最初から「やる練習」を実践している選手もいた。しばらく前なら孤高の求道者と呼ばれた前田智徳(49)、最近では正捕手の座を虎視眈々と伺う坂倉だと、水本は指摘した。

 この水本の観察眼は指導者になる前、長年の裏方生活で養われた。現役時代は捕手で、佐々岡がドラフト1位指名を受けた1989年、ドラフト外で松下電器から広島に入団。一度も一軍に昇格できず、2年後に解雇されると、二軍監督・三村敏之(のちに広島監督、故人)に勧められてブルペン捕手に転身する。

 当時のカープは投手王国である。水本は北別府学(63)や大野豊(65)に、時に怒鳴りつけられ、時に可愛がられながら、主力投手の個性を把握し、気分良く投げてもらうことに腐心した。

 「ミットがいい音を立てない」と北別府に叱られると、密かに打撃マシンの球を受けて、ミットをはめた左手の指の関節が外れるまでキャッチングの練習を重ねた。

 そんな水本の熱心さを買った三村は、彼がまだ裏方だったにもかかわらず、コーチ会議に出席させて指導者修行をさせる。そして、2007年にブルペンコーチ補佐に抜擢され、11年に三軍統括コーチ、13年に二軍バッテリーコーチ、16年に二軍監督へと昇格。一軍が2連覇した17年、二軍をウエスタン・リーグで26年ぶりの優勝に導くと、ファーム日本選手権でも巨人をくだして球団初の日本一を達成した。

 つまり、水本はカープにおけるファームの指導者の最高のお手本であり、表から裏まで知り尽くした生き字引のような存在だったのである。これほどの人材の流出が、カープにとって痛くないわけがない。

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