2024年11月25日(月)

WEDGE REPORT

2021年1月30日

現在の敵は「新自由主義型グロバリゼーション」

 スレイマン監督の政治姿勢は明快だ。冷戦を乗り越えたてき左翼であり、かつての敵、アメリカ帝国主義の代わりに、現在の敵は「新自由主義型グロバリゼーション」となり、それが全ての元凶という考えだ。

 「パレスチナは世界の縮図だと私はずっと訴えてきました。それが今、よりはっきりしてきたと思います。新自由主義経済が今の状況を作り、私たちは皆、その支配下にあるのです」

 新自由主義とは70年代、ピノチェト軍事独裁下のチリに乗り込んだミルトン・フリードマンらシカゴ学派の経済学者が試みた政策で、80年代になると英国のサッチャー、米国のレーガン政権が取り込み、その後、国際通貨基金(IMF)、世界銀行の貸付条件として世界中の途上国に広がった。

 新自由主義は「小さな政府」と呼ばれたり、「構造調整」という意味が伝わりにくい言葉で広まり、日本では構造改革や行政改革という言葉の影に隠れていた。要はこういうことだ。鉄道、電力、水など国民の日々の暮らしを支える基幹産業を民営化し、社会福祉など最低限の暮らしを支える部門を削り込む。国家予算を減らして、大方のことは市場に任せるという考えだ。

 資本主義社会でも、国に支えられそれなりの暮らしができていた人たちは、規制緩和でビジネスを始め富を得ることもができたが、そうでない人たちは暮らしのための出費が増え生活苦に追われる。当然ながら、格差は激しくなる。「新自由」と言うから自由でいいように思えるが、儲ける人が市場の自由を謳歌し、そうでない人たちは不自由になったということだ。

 監督は政治好きの人だが、映画はそれを匂わせずきれいな絵に終始する。そんな作品の終わりで、主人公がニューヨークの占い師を訪ねる場面がある。質問は一つだ。「この先、パレスチナはあるのか」。

 すると占い師は笑いもせずにこう答える。「それはある。ただし、我々が生きている間にはない」

 映画の中で、映画会社から「パレスチナらしくない。どこにでもあり得る作品だ」と企画を却下されるように、スレイマン監督はパレスチナではなく、人間社会の普遍を描き出している。監督の世代が生きている間は無理でもいずれはあり得る「パレスチナ」は、「新自由主義に支配されない社会」でも「レイシズムの消えた世界」でも「白人至上主義の終わる時代」でもいい。

 そう解釈した私は、監督に聞いてみた。

 「50年か100年後にはそのようないい時代になるでしょうか」

 というのも、先日、角川春樹さんもインタビューで「今世紀中に一神教が支配する世界は終わる」と似たようなことを言っていたからだ。

 「映画の中にその答えを少し込めました。最後に人々が踊っている場面がありますが、これは実際に私が目にした状況そのものなんです。映画を撮影中、結構暗い気分でいたんです。それでスタッフに『若者たちはどこにいる?』って聞いたら、ナザレの隣の町ハイファに案内してくれたんです。そこではパレスチナ人の若者たち、アートや映画関係の人が結構いて、話を聞くと全然政治的でもナショナリスティックでもないんです。だけど、ジェンダーや人種問題についての意識はとても高く、自由への渇望も強い。調和を大事にするアナーキスト(無政府主義者)という印象で、僕の世代よりも進んでいると思えました。彼らはネットを通して、国を超え同じ世代で多くの人たちと繋がれる。新自由主義が格差など今の世界をもたらしましたが、同時にうまく抵抗しようという世代も生み出したと感じました」

 米国のブラック・ライブズ・マター(「黒人の命を軽んじるな」の意)運動の担い手となった1997年生まれ以降のZ世代らを指しているのだろう。ゲームでもアニメでもネットでも幼い頃から見てきたものがほぼ同じなので、国を越えて同じ話題で盛り上がれる世代でもある。

 「未来に希望があるか、と問われれば、彼らが社会の中心になれば今よりはましと思える、いやそう思いたい自分がいますね」

 世代ではなく年代、つまりどの時代に生まれたかではなく、単に若いから周囲に希望をばらまいているだけではないかという見方もある。だが、全く違う環境で育った世代が、老いた時は今の老人とは多少違ってくるはずだ。それが監督が感じている「希望」だろう。

  
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