2024年11月25日(月)

解体 ロシア外交

2012年10月11日

 それでも、イヴァニシュヴィリは豊富な資金を使って、反体制派政治家を次々巻き込み、政治力を強めていった。特に、サアカシュヴィリに放免された元閣僚や元大使、元政治家たちなど多くの有力者がイヴァニシヴィリ陣営に取り込まれている。氏は政治的経験がなかったため、政治的演説は、最初は元国連大使のアラサニアなどが主に担っていたが、自身も訓練を積み、最近ではスピーチの腕もずいぶん上がったと評判である。

 また、イヴァニシュヴィリは特に地方などでも「ばらまき」により支持を集めていた。グルジアの地方では、まだテレビなどが見られない地域も多い。そのような中で、イヴァニシュヴィリは各地で大量の衛星アンテナやテレビを無償で配布した。イヴァニシュヴィリは自分のテレビ局(TV9)も所有しているが、地方の人々は、イヴァニシュヴィリの番組を見て、支持を強めていったという話もある(一方、政権がそのアンテナを回収した地域もあるらしく、それも問題となった)。イヴァニシュヴィリの人気はうなぎ上りに上昇していった。

選挙日が平日だった理由

 このような、イヴァニシュヴィリの勢いは、サアカシュヴィリにとって大きな脅威であった。それは選挙日が10月1日にされたことにも表れているという説もある。国際的に、選挙は日曜日に行われるのが常だろう。しかし、10月1日は月曜日であり、その日は選挙のための休日とされた。この決定は、サアカシュヴィリが相当焦っていることを物語っていると見る識者は少なくない。何故なら、どんどん劣勢となっていくサアカシュヴィリは、勢いを増す野党が選挙運動を繰り広げられる期間をより短くしたかったが、議会選挙は2012年10月に行われるという憲法規定に鑑み、規定内の最も早い日程、つまり10月1日を選挙日としたとも考えられているのである。

 サアカシュヴィリは野党の政治活動に対しては厳しい圧力をかけ続けた。結局、選挙には14政党、2政治ブロックが参加したが(グルジア選挙委員会のHP参照:http://cesko.ge/files/2012/PARLAMENTIS%20ARCHEVNEBI/PARTIEBI/ELECTION_SUBJECTS_NEW.pdf)、実質のところ、GDとUNMの一騎打ちとなったと言ってよい。街中や地下鉄内の「大きな」政治宣伝広告は、当局の厳しい規制によりUNMと体制内野党と言ってよい「ギオルギ・タルガマゼ―キリスト教民主同盟」の2つしかない。しかし、街中にはあらゆる政党のポスターが貼られているが、その中で目立つのはやはりGDとUNMのものである。

各党のポスター。青はGD、赤はUNM。両党のポスターが圧倒的に多い

 立候補した政党には、候補者番号が付与されるが(これも同上のHP参照)、UNMは5でイメージカラーは赤、そしてGDは41でイメージカラーは青であり(なお、GDは当初、7という数字を希望したが、「ラッキーセブン」を連想させる7を与党は認めず、覚えにくい41を付与したとされる)、赤と青、そして5と41という数字が町にあふれていた。もちろん、それ以外の政党のポスターも貼られていたが、一か所にポスターが3重、4重に上に貼られていたり、別政党のポスターの番号のところに別政党の番号が上書きされているようなポスターも多々見られた。


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