2024年11月25日(月)

解体 ロシア外交

2012年10月11日

 とはいえ、サアカシュヴィリが成し遂げたことの意味の大きさも忘れてはならない。グルジアは、バラ革命後、NATOやEUへの加盟を目指し、民主化を進め、確かに多くの成果があったのだ。例えば、グルジアの汚職は、ソ連時代、連邦内で一番ひどいとすら言われてきたが、目覚ましい改善を遂げた。また、司法分野では問題が多いものの、それ以外の透明化や自由化は概して大きな進歩がみられたと評価されている。

 それでも、既述のように国民のサアカシュヴィリに対する不満が高まっていったが、氏に代わる指導者の不在が、グルジア政治に閉塞感をもたらしていた。氏に代わる人物としては、元国連大使のイラクリ・アラサニアが最も有力とされていたが、それほど大きな支持は獲得できなかったし、反サアカシュヴィリ・親ロシア政策をとった前述のブルジャナゼ元国会議長やズラブ・ノガイデリ元首相の両政治家も国民からはむしろ冷ややかに見られていた。

 特に、2011年春には、反対派による抗議行動が続き、5月には、警察がゴム弾や催涙ガスを用いて、抗議行動を制圧しようとして多くの負傷者、さらに死者も出た。ブルジャナゼの車にひかれたことが原因と報じられたが、ブルジャナゼが息子と「死者が出たほうが、サアカシュヴィリが国際的に批判を浴びて、政権を潰し易くなる」というようなことを話していたのが盗聴されたため、それらの一連の事件により、サアカシュヴィリ、ブルジャナゼ共に、国民の反発を買うこととなり、国民は政治に諦めのようなものを感じるようになっていった。

流れを変えた大富豪の政界進出

 だが、2011年10月に流れが変わった。グルジアではあまり知られていなかった大富豪、ビジナ・イヴァニシュヴィリが政治への進出を明らかにし、政党「グルジアの夢と民主主義のグルジア」を創設するとともに、既述のGDを立ち上げたのである。

 イヴァニシュヴィリは貧しい家庭の出身だったが、主にロシアで蓄財し、グルジアのGDPの半分ほどの資産を持つといわれる大富豪だ。彼はヘリコプターポートなども備えた高松伸氏が設計した豪邸、さらには世界的に有名な名画のコレクションやペンギンやシマウマを含む動物園も所有している。

 だが、イヴァニシュヴィリは慈善家としても有名であり、グルジアの多くのインフラや病院などにも多額の資材を投じてきたし、サアカシュヴィリ政権の資金源にもなってきたとも言われている。しかし、イヴァニシュヴィリの資金で誕生したインフラや病院などのオープニングにはサアカシュヴィリが登場し、イヴァニシュヴィリの名前すら挙げずに自分の功績のようにふるまってきたことでイヴァニシュヴィリの怒りが頂点に達したとも言われている。

 他方、イヴァニシュヴィリがロシアで蓄財したことは、サアカシュヴィリの攻撃材料となった。サアカシュヴィリはイヴァニシュヴィリの銀行などの多くの財産を没収するとともに、イヴァニシュヴィリも自発的にロシアの資産や株式などを手放した。また、政治献金など様々な選挙法違反の咎で、イヴァニシュヴィリは相当額の罰金の支払いも強いられた。加えて、サアカシュヴィリは、2011年10月にイヴァニシュヴィリのグルジア国籍を剥奪した。イヴァニシュヴィリは2010年10月に、フランス市民権を付与されたが、確かにこれがグルジアの国籍規定 に抵触するのは間違いなく、合法的な行為ではあるが、イヴァニシュヴィリの政界進出発表直後のことであっただけに、政治的意図を問題視する声も少なくない(現在のイヴァニシュヴィリはフランス国籍)。


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