2024年12月22日(日)

オトナの教養 週末の一冊

2021年5月7日

(つのだよしお/アフロ)

 敗戦処理、しんがり、といった言葉が日本語にはあるが、自然災害という大きな敵に敗れた福島第一原発事故現場の仕事はどうだったのか。『廃炉 「敗北の現場」で働く誇り』を上梓した稲泉連氏は「自分の仕事とはそもそも何か。非常事態になった時、人はその本質を考えるものなのではないか」と語る。

 本著は、東日本大震災に伴う津波によって電源を失い、原子炉の冷却ができずに水素爆発を起こした福島第一原発の一号機と三号機、四号機の建屋の廃炉作業に携わる人々の仕事やその想いを取材し、紡いでいる。

 稲泉氏はこれまで、東日本大震災の被災地に赴き、いくつものノンフィクション作品を書いてきた。発生から1か月後に宮城県気仙沼市の沿岸へ赴き、リアス式海岸沿いの国道45号線を早期に復旧させた人たちの活躍を紡ぐ『命をつないだ道―東北・国道45号線をゆく』や、震災直後に仙台でいち早く営業を再開した街の本屋を綴った『復興の書店』が代表的なものだ。帰還困難区域で物理的・精神的に離れている福島第一原発で「さまざまなことが執り行われているだろうけど、どのようなことをしているのかわからない。そこを知りたいと思った」と取材のきっかけを語る。

 タイトルにもなった廃炉を「敗北の現場」と感じるようになったのは、取材を始めて1年ほどが経った時だった。事故により建物上部が吹き飛んだ三号機で、高放射線量のがれきの撤去と建屋上部へカバーを覆う作業に従事する鹿島建設の社員へインタビューの際だ。入社以来、都市の公共土木工事を15年にもわたり経験していた彼は日本の最高峰の技術の成果とされてきた原子力発電所がまさに凄まじい状態になっているのを目の当たりにして「敗北した気持ちになった」と語った。これまで取材してきた多くの人の言葉から、何かを作り出す訳でもなく、建設されるわけでもない、産業遺産になってしまう取り組みへとつながることに「虚しさを感じた」と稲泉氏は振り返る。

 ただ、その反面、「携わる人がみな、『何のためにやるのか』『自分に何ができるのか』といった言葉を最初に発する。働く人すべてにそのような思いを抱かせる仕事現場なのだという印象を強く受けた」という。稲泉氏はこれまで、就職氷河期世代をはじめとして働く人、働く現場のルポルタージュも多く手掛けている。取材活動の核となっているのは、組織の中の人間が配属された場所に行き、どのような葛藤を抱き、何ができるのかを考え、行動しているのか、になる。その中で、東日本大震災やそれとともに起こった原発事故の現場は特別なものを感じている。

 「非常事態になると、多くの人が自分の仕事は何なのかを考えるようになる。大震災直後に三陸のリアス式海岸沿いの国道45号線を復旧させた土木事業者らは『これは誰かがやらなければならない仕事だ』と感じ、自らの専門分野での力を駆使して、対応した。書店営業を再開させた店主は、多くの書物が買い求められる様子を見て、本の販売がたくさんの人に求められているという自らの仕事の本質を感じられた」

 廃炉の現場では、原子力行政に長年携わり「安全神話」の崩壊への責任を果たすために福島の配属を生涯希望し続ける経済産業省の官僚、事故を起こしたプラントと向き合ううちになぜ自らが今の仕事をやりたかったのかを気づいたエンジニア、故郷のために何かしようと作業員を輸送するバス運転手となった自動車学校の元教官、自己実現の可能性を求め事故後の東京電力へ入社した若者と、さまざまな人間が自らの仕事について葛藤を繰り広げている。本著では、その活動する姿や合間にこぼす言葉が描かれている。


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