CHANGE CHINA

2021年6月7日

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及川淳子 (おいかわ・じゅんこ)

中央大学文学部准教授

日本大学大学院総合社会情報研究科博士後期課程修了、博士(総合社会文化)。外務省在外公館専門調査員(在中国日本大使館)等を経て、現職。専門は、現代中国社会、政治社会思想、言論空間。著書に、『六四と一九八九』(共著、白水社、2019年)ほか。

      【丁東(ていとう)
1951年生まれ。歴史家、著述家。政府系シンクタンクの山西省社会科学院で研究員を務めた後、『口述歴史』、『老照片』など人気歴史シリーズの刊行に携わる。中国におけるオーラルヒストリーの研究と実践の第一人者。中国共産党の長老から市井に生きる人びとまで、激動の現代中国を生き抜く様々な人生に寄り添い、独自の眼差しで近現代中国史の著述を続ける。忘却を拒絶し、歴史を編む、在野の歴史研究者。
          ​ イラストレーション=阿部伸二 Shinji Abe

 丁東氏の文章は、人名の後に続けて「回憶録」、「口述往事」と題したエッセイが多い。作家や研究者、中国共産党の高官でありながらリベラルな改革派として知られた老幹部など、誰かが亡くなると、丁東氏は必ず追悼文を発表する。丁東氏と知り合ってから20年近くになるが、彼の著作を通して、幾人と出会い、幾人と別れたことだろうか。

 追悼文には、夫人の邢小群氏によるデッサンの肖像画が添えられることもあり、去りゆく人を悼み、その足跡を歴史に刻もうとする夫妻の眼差しが感じられる。哀しくも、秘めた力強さに満ちた言葉は、まるで「挽歌」のようだ。亡き人を悼む「挽歌」は、「葬送の時、柩を乗せた車を牽(ひ)く人たちがうたう歌」、「死を悼んで作る詩歌」という意味だ。日本でも古来挽歌を詠む伝統があり、現存する最古の和歌集である『万葉集』にも数 多くの歌が収められている。去りゆく人を悼む「挽歌」の伝統は、日本と中国に共通する文化といえるだろう。

 丁東氏は、社会科学出版社『口述歴史』(オーラルヒストリー)、山東画報出版社『老照片』(古い写真)など人気歴史シリーズの刊行にも携わり、中国におけるオーラルヒストリーの研究と実践で、第一人者として活躍している。中国共産党の高官から市井に生きる人々まで、とりわけ政治的理由によって歴史の片隅に追いやられた人物を紹介し、激動の現代中国を生き抜いた人びとの人生に寄り添い、独特な眼差しで近現代中国史の著述を続けている。

 丁東氏自身が大ベストセラー作家として脚光を浴びているというより、重要な歴史書の陰には彼の存在があるというべきだろう。例えば邦訳『嵐を生きた中国知識人─「右派」章伯鈞をめぐる人びと』(章詒和著、横澤泰夫訳、集広舎)はその代表例だ。1950年代後半、民主派勢力が共同で発行していた『光明日報』の章伯鈞社長は、中国共産党の専制を批判して粛清された。いわゆる「反右派闘争」で失脚し、非業の死を遂げた知識人の一人である。

 その娘、章詒和氏自身も政治的理由で10年に及ぶ獄中生活を経験し、ようやく自由を得て文筆活動を始めたが、著作は次々と発禁処分を受けた。『老照片』に連載され、読者から大きな反響を得た章伯鈞の物語を書籍として刊行すべく奔走したのが、丁東氏である。原稿は中国当局によって大幅に削除され、発行したものの最終的に発禁処分となった。だが、その後も海賊版で読み継がれ、完全版が香港で出版された後に、日本でも翻訳されて話題を集めた。

 一冊の本が読者の手に渡るまでには、多くの人びとの想いが繋がれていくものだ。しかし、中国では言論の自由が制限され、出版には厳しい検閲が伴うために、関係者の情熱や意志だけでは実現し得ない。特に、中国共産党史観とは異なる歴史のタブーや忘却された歴史の再評価に挑戦する場合、中国国内での発表が可能になるように、言論の自由と政治的な問題のバランスを睨みながら許容範囲を模索し、テニスでエッジボールを打ち込むかのようにギリギリのラインを狙う絶妙な政治感覚が不可欠だ。

 あるいは中国国内での出版を断念し、台湾や欧米の中国系出版社で刊行するとしても、関係者の安全を最優先に考慮する必要がある。歴史書の出版は政治的理由のために困難に直面することが多く、艱難辛苦を乗り越えなければならない。そうした言論空間で、人びとの声を丁寧に掬い上げるかのように綴る丁東氏の筆致は、歴史や社会に対して道義的責任を果たすべく執筆を続ける歴史家としての矜持なのだ。

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