ザカリアの論説では冒頭で、ドーハの合意によって決定した米軍の撤退を進行させるために、タリバンは米軍に対する攻撃を控えて来たのであり、バイデンは小規模の兵力の駐留という小さなコストで現状を維持することが出来たはずだとの議論は成り立たないと指摘している。指摘の通りだと思われる。
バイデンは演説で「アフガニスタンにおける我々の唯一の枢要な国益は......米国本土に対するテロ攻撃を阻止することにある」と述べたが、アフガニスタンが米国を脅かす国際テロの温床となることを防げるかがバイデンの決断の評価を左右するであろう。
米国は撤退に備えてパキスタンなど周辺国の協力を取り付けテロ監視の体制を構築しようとしたようであるが、実現し得ていない。アルカイダがアフガニスタンをテロの拠点とする脅威は現実のものであるが、タリバンがこれを許容するかについては、アルカイダの「9.11」のテロ攻撃が理由で20年前に政権を失った彼等の痛い経験に鑑みれば、そうと決まったことではないかも知れない。
バイデンはいかに退避させるのか
バイデン政権にとって短期的に重要なことは、アフガニスタンに滞在する米国と同盟国の市民および米軍に対する協力者(通訳、運転手、警備員、料理人など)を含め出国を希望するアフガン市民を安全に国外に退避させることである。バイデン政権の方針に対する批判とその能力に対する疑問は、カブール空港の壁を乗り越えて殺到する恐怖に駆られたアフガン市民が離陸しようとする米軍機に取りつく衝撃的な映像に相当程度負っているように思われる。
「戦争に優雅に負ける方法はない」では済まされない。退避を始動させるタイミングは如何にも遅過ぎた。バイデンは大量出国は信頼の崩壊を招くとしてアフガン政府に止められたと言うが、タリバンが刻一刻と迫っていたのだから、理解に苦しむ。
1975年のサイゴン陥落時には、米国は4月1日から 29日までの間に固定翼機で2678人の戦争孤児を含む5万0493人のベトナム市民を退避させ、4月30日にはヘリコプターで7000人を退避させた由である。この際、米国は自ら設定した撤退期限を超えてでも(18日、バイデンはその方針を表明した)、そして、要すれば軍を動員してカブール市街から空港への安全な通路を確保してでも、所要の退避を完了させる必要があろう。