ひらたくいえば、占領期間中に押し付けられた国のすべての仕組みを、わが国の文化、風土、習慣にあうように作り直そうという構想だ。保守陣営からは強い支持を得たが、リベラル勢力や近隣諸国の反発、警戒を招いた。
集団的自衛権の容認などは、この具体化だが、誤解をおそれずに言えば逆説的な意味において、国民に訴えかけた構想だったというべきだろう。
宰相のあるべき姿とは
いまの日本は、格差拡大にコロナ禍が加わって国民の不安、不満が極度に高まっている。
ちょうど100代目という区切りになる次期首相は、これを鎮め、国民に希望を与えるプランを示し、実行の先頭に立つ強い指導者でなければならない。
戦時中の43(昭和18)年元旦の朝日新聞に「政治宰相論」という論文が掲載された。
東方会総裁の代議士、中野正剛の筆になる論文は、20世紀初めのフランス首相、クレマンソー、三国時代の武将・政治家、諸葛孔明、日露戦争を勝利に導いた首相、桂太郎ら内外の名指導者、名宰相が称えられるのはなぜかを分析。国が滅びるのは経済や敗戦ではなく、「指導者が自信を喪失し、国民が帰趨に迷うとき」と論断した。
困難なときのリーダーの資格として「国民の愛国的情熱を鼓舞、激励することが必要」として、こう結んだ。
「非常時日本の名宰相は絶対に強くなければならぬ。誠忠に謹慎に廉潔に、而して気宇広大でなければならぬ」――。
これを読んだ当時の首相、東条英機は、自らの独裁政治を批判されたと思い込んで激怒、中野を弾圧、後日自刃に追い込んだ。
「戦時宰相論」はいわば因縁の論文だった。
当時は太平洋戦争遂行中。平和国家である現在の日本とは全く異なるから、単純に比較するのは不適当かもしれないが、中野が論じた指導者のあるべき姿は、現在にも大きな示唆を与えてくれる。
最近の宰相論も紹介する。
今期限りで引退する伊吹文明元衆院議長。「政治理念をしっかりもつこと」を第一に挙げる。
そのうえで、「日本社会の姿、国家像を国民に示すこと。(総裁選の)各候補の主張にはコロナの緊急対策や目玉政策が並ぶが、国家像を主権者に説明し理解」してもらうことが重要と説く。
「この政治理念や国家像は、生まれた環境、教育や躾、歴史等の素養、広い教養を必要とする」と厳しい基準をあげ、これをクリアすることが指導者には必須と指摘する(9月27日のフェイスブック)。
時あたかも、コロナとの戦いの最中、日本もいわば〝非常時〟、「戦争」にたとえるむきすらある。
岸田次期首相には、広い教養、素養に裏打ちされた気宇壮大、そして国民が明るい希望を感じる、明日のビジョンを示すことを期待したい。
(一部敬称略)