つまり、この5年間、朴新大統領は常に先読みしながら、逆算して、「今」の行動を選択し続けてきたのである。当然、自分の行動を選択する上で、相手の反応を予め予測して、相互作用の中で複数のオプションを比較衡量することが欠かせない。朴新大統領はこうした戦略的思考の持ち主であり、これまで高いパフォーマンスを上げてきた。畢竟(ひっきょう)、外交交渉のテーブルで相手として迎える場合は、手強い交渉相手、タフ・ネゴシエーターになることは間違いない。
日本でも、26日、安倍政権が成立した。国内外に課題が山積しているが、韓国との外交においても、少なくとも朴新大統領と同じくらい戦略的思考を持って、先読みして臨むことが必要である。
その意味で、韓国側の出方を予め予測して、備えておきたいのが、2015年の日韓基本条約締結50周年である。
高度な政治判断で枠組みを作られた
日韓基本条約
1965年、日韓両国は、日韓基本条約と付属の諸協定を結んで国交正常化を果たした。交渉の過程で最も熾烈に争ったのは、1910年の韓国併合条約やその後35年間に及ぶ統治の性格についてであった。日本側は、韓国併合条約は合法的に締結されたが、韓国の建国とともにその効力を失ったと主張したのに対して、韓国側は、「日帝強占期(日本帝国主義によって強制的に占領された期間)」はそもそも不法であり不当であったと真っ向から対立した。当時、日本は佐藤栄作総理、韓国は朴正煕(パク・チョンヒ)大統領であった。佐藤と朴は、「千九百十年八月二十二日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、『もはや無効(already null and void)』であることが確認される(日韓基本条約第2条、括弧による強調と英文の追記は筆者)」とし、日韓双方、それぞれ別々に解釈し、国内で説明するとともに、互いにその解釈の違いについて干渉し合わないことで合意した。これは、「合意しないことに合意する(agree to disagree)」の典型で、日韓両国の政治リーダーは、高度な政治的判断によって二国間関係の法的枠組みを形作った。言うまでもなく、佐藤は安倍総理の大叔父、朴正煕は朴新大統領の父である。
竹島領有権問題については、日韓基本条約の調印の直前までもつれこんだが、ここでも、佐藤と朴は、リーダーシップを発揮した。基本条約や協定とは別に、日韓紛争解決交換公文を結び、その中で次のように規定した。
両国政府は、別段の合意がある場合を除くほか、両国間の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとし、これにより解決することができなかつた場合は、両国政府が合意する手続に従い、調停によって解決を図るものとする。