「毛沢東精神」とともに成長した習近平
ここで時計の針を今から46年前の1976年に戻してみたい。
1976年9月9日零時10分、毛沢東が波乱に富んだ83年の人生を閉じた。「偉大なる領袖」の死を前に全国民は喪に服す。その直後、中国共産党中央委員会、中華人民共和国人民代表大会常務委員会、中華人民共和国国務院、中国共産党中央軍事員会は連名で「全党、全軍、全国各民族人民に告げる書」(以下、「告げる書」)を告示し、「毛主席は中国共産党、中国人民解放軍、中華人民共和国の創立者で英明な指導者である」と位置づけた上で、「われわれは断固として毛主席の遺志を受け継ぐ」と誓った。
これを言い換えるなら、国家の意思として「全党、全軍、全国各民族人民」に「毛主席の遺志を受け継ぐ」ことを強く求めたことになる。
当時は毛沢東に熱狂した時代である。加えて物心ついた頃から毛沢東を神と崇める教育を受け、文革の荒波を潜り抜け、陝西省の農村で過ごした下放生活を閉じ、慣れ親しんだ農民に別れを告げ、北京に戻って清華大学化学工程系に学んでいればこそ、青年・習近平が毛沢東の死に無関心であったとは思えない。「断固として毛主席の遺志を受け継ぐ」と公然と誓ったかどうかは別にして、「毛主席の遺志」が心に深く刻まれたであろうことは想像に難くない。
改めて「告げる書」が強く訴える「毛主席の遺志」を振り返ってみたい。それというのも、「告げる書」は党国体制を至上とする中国における4つの最高権力機構が連名で「全党、全軍、全国各民族人民」に向けて発した公式文書であり、それゆえに当時の中国が内外に明示した〝確固たる国家意思〟と見なすことができるからである。
「告げる書」は「われわれは必ずや毛主席の遺志を受け継ぐ」のフレーズを多用しながら、「毛主席の遺志」を説いた。
まず内政面では、「党の一元化指導を強化し、党の団結と統一を固く擁護し、党中央の周囲に緊密に団結する」。「労働者階級が領導する労働者と農民の連盟を基礎とする各族人民の大団結を固め、鄧小平批判を深化させ」、「ブルジョワ階級の法権(法律上の権利)を制限し、わが国プロレタリア階級の独裁をより前進させる」ことである。
次いで「毛主席の建軍路線を断固として執行し、軍隊建設を強化し、民兵建設を推し進め、戦備を増強し、警戒を高め、敢えて侵略を試みる一切の敵を殲滅する備えを常に怠らず。わわれは断固として台湾を解放する」の部分が、軍事面に当たるだろう。
外交面を見ると、「毛主席の革命外交路線と政策を引き続き、断固として、徹底して推し進める。〔中略〕わが国人民と各国人民、特に第三世界の国々の人民との団結を強化し、国際社会において手を結ぶことのできる総ての勢力と連合し、帝国主義、社会帝国主義と現代修正主義との戦いを最後まで徹底する。わわれは永遠に覇権を唱えない。永遠に超大国にはならない」と記している。
内政・軍事・外交の面に腑分けし、改めて現時点で「告げる書」を読み返してみると、政権3期目を目前にした習近平一強体制が内外に向けて推し進める強硬姿勢の根底に「毛主席の遺志」が透けて見えてくる。