水産高校を卒業後、仙台で運送会社などの職に就いていた伊藤浩光さんが、故郷である宮城県石巻市雄勝町に戻ったのは、今から8年前のこと。家業を継ぐため、父親の運営するホタテやカキ、ホヤの養殖業の仕事に就いたのだった。雄勝町は、昔からホタテやカキ、ホヤ、サケの養殖が盛んであった。
43歳での転職でもあり、最初の3年間は仕事を覚えることで精一杯だったが、少しずつ周囲が見えてくると、現状の漁業システムに大きな問題があると感じるようになっていった。
「漁師の跡継ぎはいないし、そもそも漁師たちは息子に跡を継がせようとも考えていなかった。それは儲からないからなんだよ。消費者が100円で買った魚の生産者の取り分は10~20円程度にしかならない。流通経路が『生産者~漁協~仲買~市場~商店~消費者』と複雑で、生産者の受け取り価格が低くなるんだよ。この仕組みを変えなければ、雄勝の漁業の未来はないと思った」
「漁業の六次産業化」
自らモデルケースに
伊藤さんが目を向けたのは「漁業の六次産業化」だった。生産者が、生産だけではなく加工、流通・販売まで展開する六次産業化によって、間に入る業者がいなくなれば、その分、利益率は高められると、考えたのだった。さらに「漁業と観光の融合」を重要視した。伊藤さんは雄勝に戻って以来、この町の活気のなさを痛感していた。漁業によって、観光客を呼び寄せ、町に賑わいを取り戻したいと考えたのだ。
こうした取り組みは、伊藤さん一人ではなく、雄勝の漁師全員で行わなければ、決して成功しないと考え、漁業の新しい方向性について、仲間の漁師たちに説明して歩いた。しかし、誰も興味を示さなかった。
「漁師たちに机上で話をしても無理なんだなと。実際に俺がモデルケースになって行動し、新しい仕組みの良さを具体的に伝えないとだめだと思った」
漁師が六次産業化に乗り出す際、大きなネックとなるのが「加工場」である。例えば、ホタテを販売するには魚介類販売業の許可が必要であり、その許可を受けるには、加工場の設置が条件となる。それでも伊藤さんは、雄勝の将来を見据え、会社をつくり、借金をして加工場を設置。2010年春、六次産業化への取り組みをスタートさせた。