このような認識は、この時期の雰囲気を反映している。習近平政権は、20年初めの武漢におけるコロナ対応の失敗を全国的な封じ込めの成功で打ち消したのに対し、欧米は逆に無策振りを露呈した。欧米経済が大きく打撃を受ける中で、中国経済は急回復した。この一文は、そういうときに書かれたものだ。
ウクライナ対応で中国は迷走するのか
中国社会が、08年のリーマンショック後と同じように、自分たちの成功に酔いしれ、判断が楽観的になりすぎた気配がある。08年を経て、中国は国粋的ナショナリズムに煽られ、対外強硬姿勢に傾斜するのだが、20年後半以降、米中の戦略的競争の長期化を想定した習近平政権が、ロシアを中国の安全のみならず、世界システムの構築の面でも、より積極的に組み込むことを考えたと見て良い。
ウクライナ問題の成り行き如何では、習近平のこの戦略的判断が、中国の国内問題となりうるのだ。現に、この問題に対する中国の対応は迷走している。
習近平がこれまでいくつかの選択肢の中で最も強いものを選んできたことは事実であるし、最近は「闘争」という言葉を多用する。しかし、必ずしも、ポッティンジャーが言う「論理的で冷静な分析は習近平の得意とするところではないので無茶をする」ということにはならないのではないか。米国を相手に無茶をするというのは次元の違う話である。
中露が組んで西側と対抗するという構図も、中国国内での心理的舞い上がりが終われば、異なる展開となろう。習近平政権が続く限り、習近平式「中国の夢」は追い続ける。しかし、戦術的転換はするだろう。そこまで習近平が神がかり的になっているとは判断できない。