2024年11月22日(金)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2022年4月30日

 まず申し上げておきたいのだが、カジノはIRの重要な要素だが、コンセプトとしての中核にはならない。何故ならば、カジノというのはファミリーとは対立する概念だからだ。IRとしては、ファミリーに受ける強いカルチャーやスポーツ、自然といったコンセプトがあり、それで十分に「夢」の演出に成功しており、複数泊と複数回の料飲サービスという「掛け算効果」で十分な収益のベースができている、これがIRの基本である。

 その上に、「プラスアルファ」としてカジノが存在し、カジノの収益が上乗せされる。これがIRのビジネルスモデルである。結果的に、特に営業利益の面で、またキャッシュフローの面でカジノは大きな存在になるかもしれないし、狭義の事業計画としてはその計算も必要だ。だが、コンセプトとしては核にはならない。あくまで「プラスアルファ」として見ておかねばならない。

 理由は簡単だ。IRはあくまで統合型リゾートであり、ホテル付きのカジノではないからだ。

カジノに焦点を当てると魅力は激減する

 では、その上で改めて「IRにおけるカジノ」の位置付けについて考えてみよう。IRのカジノは、ギャンブル好きが血相を変えて集う「賭博場」ではない。いい意味での「華やかさ・派手さ」を象徴するアクセント、そして成人した家族により、あるいは気の置けないグループで楽しむ「清遊」の社交場という位置付けだ。

 もっと具体的に言えば、昼間はIRの中核コンセプトに従って演出された、スポーツやカルチャーの「夢」を追い、そして施設内での工夫された夕食を楽しんだ後に、「宵の楽しみ」としてカジノに興じる、そこで例えば50ドル(6000円)を投じて、30ドル(3600円)ほど賞金を獲得、差額の20ドル(2400円)は、ひと時の「娯楽のコスト」として施設に落として行って、本人は別段の後悔はない、そんな感じである。

 これが富裕層になれば1桁から2桁ゼロが多くなり、超富裕層になれば更に動く金は増えるが同じことだ。つまり、温泉街で夕食後に繰り出して、射的や卓球に興じるとか、あるいはゲームセンターで散財するというのと変わりはない。カジノは現金のリターンがあるから射倖心を刺激するが、それに「負けない」大人の嗜みというのが大前提である。

 そもそも、家族旅行にわざわざ日本を選ぶというのは、米欧の場合であれば「異文化への好奇心」を強く持った層であり、そもそも「ギャンブルに血眼になる」層ではない。カジノを前面に押し出した「金ピカ」で「どぎついネオン」の輝くような施設は彼らのテイストには合わず、落胆されるのがオチである。

 まずは、日本の自然とカルチャーを中核にした「健全で本格的な演出」により「圧倒的な夢を見せる」コンセプトが大切である。何度でも繰り返すが、カジノはその上に「華やかなオマケ」として乗せるべきだ。

 IRのビジネスモデルを考えず、日本という特殊な目的地(デスティネーション)の圧倒的な強みも知らずに、カジノへの賛否両論を繰り返すだけでは、IRなど絵に描いた餅である。このままでは仮に認可されて建設されても閑古鳥となるのは目に見えている。

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