白い日銀から黒い日銀への大転換とは、もちろん白川方明総裁の率いる日銀から黒田東彦総裁の率いる日銀への変化という戯言である。ただし、注意しなければならないのは、白い日銀とは白川総裁のみならず、黒い日銀以前のすべての総裁下の日銀の思考と行動様式を指しているということである。では、伝統的な日銀、白い日銀とは何か。それは、物価は金融政策では決まらない、金融政策を能動的に動かすことはできない、動かすとしたら金利であって量を動かすのは邪道であるといった考え方からなる、雑多な思考法である。
ところが、黒い日銀になってすぐの2013年4月4日の金融決定会合で、2%の消費者物価の上昇率目標を実現するために、マネタリーベースを2倍に拡大すること、長期国債の買い入れ拡大と年限を長期化すること、これらの緩和を物価目標が安定的に持続できるまで継続することなどを決定した。また、これらの緩和政策によって15年近く続いたデフレから日本経済を脱却させるとしている。
マネタリーベースを2倍に拡大するとは、2012年末で138兆円のマネタリーベースを13年末200兆円、14年末270兆円にすることである。これは、毎月の長期国債の買い入れ額を7兆円強にすることになる。リーマンショック直前の88兆円から考えると、3倍にすることになる。2年後にではあるが、これでアメリカが行った金融緩和のレベルになる。
これらの決定は、金融政策で2%の消費者物価の上昇率目標を達成できる、金融政策は能動的に動かすものである、量を動かすことに何の問題もないということを示したもので、これまでの日銀の思考法をまったく変えたものである。
4月4日の金融政策決定会合は大攘夷を実現した
なぜわずか1日で変えることができたかと言えば、黒い日銀がすることは世界の中央銀行が今まで当たり前にしてきたことだからである。アメリカのFRBは、長期債や様々な債権を購入してマネタリーベースを3倍以上に拡大している。2%の物価目標も掲げている。日銀が、当たり前の世界標準のやり方を採用したということである。
明治維新になって、それまで尊王攘夷と言っていた人々が一瞬で尊王開国になったが、誰も怪しまなかった。攘夷の熱狂を忘れ、海外の優れたものを取り込み、国を強く、豊かにすることこそが本当の攘夷、大攘夷であって、夷狄をただ排斥することなど小攘夷だとなったのだ。
4月4日の会合は、大攘夷を実現した大改革だと後に語られることになるだろう。ただし、大した議論もなく大攘夷が実現できたと私は推測する。白い日銀が、執行部の言うことを聞きそうな審議委員ばかりを選んできたおかげである。