2024年6月20日(木)

田部康喜のTV読本

2022年6月26日

放送局の狙いとの狭間での葛藤

 ウルトラマンシリーズの最終回を番組が紹介した瞬間、「シンウルトラマン」のラストシーンもまた、オマージュ(敬意)だったことがわかった。ウルトラマンは地球を愛していたのである。

 金城に危機が訪れる。そして、それは円谷プロの経営が破綻寸前まで追い込まれる結果となった。ウルトラマンシリーズを放映していた、キー局とは別の局で、金城が手がけた「マイティジャック」という大人向けのSFだった。怪獣はいっさいでてこない。視聴率は惨憺(さんたん)たるものだった。

 それ以前に、ウルトラマンシリーズの後継企画である「ウルトラセブン」を放映していたテレビ局のプロデューサーが前シリーズとは交代して、内容にテーマ性を求めるようになったことも、金城を苦しめた。

 【証言】元テレビプロデューサー・橋本洋二(「ウルトラセブン」に社会的テーマを求めた)
 「僕はテーマ主義者。テーマがないのは、たいしたものではない。金ちゃん(金城)に『対馬丸事件』(疎開する多くの児童を乗せた船が、米軍に攻撃されて犠牲者が出た)をやってみないか、と言っても、金ちゃんは『そんなに深く考えなくてもいい』といって、結局書けなかった」

 円谷プロは、金城を契約プロデューサーに降格した。創業者の英二も長男の一も認めた。そのことが金城を追い詰める。金城は、辞表を書いて、沖縄に帰る。

 【証言】円谷英二の三男・あきら
 「最大の理由は、金城さんの沖縄に対する『愛』。どうしても残らないのか、と聞いても、沖縄に帰りたい、とこたえた」

 【証言】脚本家・田口成光
 「(円谷)一さんが(金城さんを)とめなかったのが一番大きな原因。自分は円谷家の兄弟、一さんの弟だと思っていた」

 金城は1969年、東京・竹芝桟橋から船で沖縄に向かった。ラッパの音が船から聞こえてきた。見送りには、円谷英二や一、上原らもいた。

 上原(佐久本宝)のナレーションが切ない。

 「(ラッパの音が)帰りたくないと泣いているように聞こえた」

沖縄に帰っても襲う苦難

 沖縄に帰った、金城は、薩摩藩による「琉球支配」に抵抗した、上原の先祖をモデルにした芝居を書いたり、地元の題材にしたシナリオを書いたりした。

 そんな金城に追い打ちをかけたのが、兄とも慕った、一のあまりにも若すぎる死だった。73年2月、まだ41歳だった。

 【証言】金城の妻・裕子
 「あれから、酒を飲んで、気をまぎらわすようになった。(一とは)兄弟だったと思っていたんじゃないですか。葬儀から帰ってくると『あんなに大事な人が亡くなったというのに、(他人は)平気な顔をしてるんだぞ』と、怒っていました」


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