金城はその後、1975年の沖縄海洋博覧会で上映される映画の脚本と制作を任された。そして、前夜祭と閉会式の企画も。「沖縄と本土との懸け橋なる」という金城の思いとは裏腹に、海洋博は地元の反対運動の波にもまれた。彼も深く傷ついた。
博覧会で上映された映画「かりゆしの島-沖縄」では、「神女」とよばれる女性たちが、遠くの理想郷からなにものかを招き寄せるシーンが挿入されている。「客人(まれびと)」を呼ぼうとしている意味を込めたのだろうか。
閉会式。海洋博の旗が降ろされると、複数のポールに沖縄県の旗がするすると上がっていく。「懸け橋」となりたいという金城の願いであろう。
金城は酒に飲まれるようにして、転落事故によって、死亡する。1976年2月、わずか37歳だった。
ウルトラマンは地球を救う愛の灯
還暦を迎えた、上原(平田満)が沖縄の金城の書斎を訪れる。彼は、金城に語り掛けるようにして、述懐する。
「『マイティジャック』が失敗して苦しんでいるときも、沖縄に帰ろうとしたときも、助けなかった」
「あれから30年間、子ども向けの作品の脚本を1000本以上書いているが、ウルトラマンを超えるヒーローを生み出していない」
映画「シンウルトラマン」は、「ふたりのウルトラマン」の過去をすべて飲み込んで制作されたに違いない。若者を中心とした、大ヒットの理由がわかる。ウルトラマンは地球を救う、愛の灯(ともしび)なのである。
ウルトラマンシリーズがそうであったように、「シンウルトラマン」もまた、観る者に希望を与えてくれるのである。