経営危機にあっても
諦めなかった理由
東芝は、1959年に国内初の電子加速器を開発するなど、原子力関連の技術を積み上げてきた。同じく、超電導技術についても、単結晶シリコン製造などの産業用から研究用に至るまで、不断に技術を磨いてきた。つまり、重粒子線治療装置の小型化という課題は、東芝という重電メーカーの総合力があってこそ、実現したのだ。
一方で、経営危機に陥ったことで、2016年には、東芝の医療部門であるメディカルシステムズをキヤノンに売却した。それでも、この重粒子線治療装置事業を手放すことはなかった。
東芝エネルギーシステムズ・パワーシステム事業部の村田大輔ビジネスユニット長は「研究開発型で進められた重粒子線治療装置の開発は、投資が先行するばかりで、ずっと厳しい状況が続いていた。それでも、経営判断で将来への投資がストップすることはなかった。事業としての将来性があるという判断があったからだとは思うが、最後は『人と、地球の、明日のために。』という経営理念に、重粒子線治療装置が合致していたから」と話す。
ここまで、こぎ着けた重粒子線治療装置だが、まだ課題は残る。一つは建設費で平均して150億円程度かかる。また、X線治療に比べ臨床件数が少ないこともある。しかし、海外からの関心も高く、開発を断念した米国のほか、自国製の重粒子線治療装置を開発している中国でも、「やはり日本製が好ましい」という理由で引き合いは多いという。さらなる小型化に成功すれば、陽子が先行している欧米でも、重粒子への置き換えを期待することもできるという。
重粒子線治療装置は、企業努力の賜物である一方で、1984年に「対がん10カ年総合戦略」という国家プロジェクトとしてスタートしたという側面を持つ。今こそ、このような国を挙げての次なる種まきが求められていることは言うまでもない。
同時に、せっかく花を咲かせたのであれば、その果実の収穫に向けてもうひと踏ん張りするべきだろう。例えば、各地方の中核都市に、重粒子線治療が受けられる拠点をつくるために、公共投資を行うといったことだ。
前例を重視する医師の存在もあるかもしれないが、「がん大国」と言われる日本で、異論を唱える国民は少数派ではないだろうか。日本で臨床数が増えれば、外国からの患者を受け入れることはもちろん、その実績をもとに、装置を海外に輸出することもできる。日本発の「世界標準」を、ぜひとも国を挙げて育ててほしい。
ルポ・山形大学医学部
東日本重粒子センター
8月下旬、山形新幹線の車窓から稲穂をつけたのどかな田園風景がひろがり、プラットホームに降りると20度前後の気温のせいもあって秋の気配が感じられた。JR山形駅からタクシーで15分ほど走ると、山形大学医学部東日本重粒子センターに到着する。出迎えてくれたのは、東芝エネルギーシステムズ粒子線事業技術部長の浅野真毅さん。東日本重粒子センターの建設に携わる前までは、東京電力福島第一原子力発電所で3号機の燃料取り出しのための仕事に従事していたという。
エントランスでは、何やら病院らしからぬロゴが目を引く。世界保健機関(WHO)のロゴにも使用される蛇がロケットの噴射に巻き付いている(下写真参照)。ギリシャ神話の名医であるアスクレピオスの杖に蛇が巻き付いているところから、蛇は医学の象徴とされるという。
「実は、施設全体が宇宙船をイメージしたデザインになっているのです。数字のフォントがいわゆる『NASA(米航空宇宙局)スタイル』というものが使用されていたり、患者さんの待機室の名前も太陽系の惑星の名前が付けられたりしていると聞いています」と、浅野さん。最先端技術の医療装置と、新しいこと(治療)に挑むということを上手く象徴している。いわゆる病院という感じは全くしない。