2024年4月24日(水)

21世紀の安全保障論

2022年9月28日

 筆者も法案成立前の15年8月、12万人(主催者発表)が参加し、東京・永田町の国会議事堂前やその周辺道路を埋め尽くした大規模なデモを眺めていた。抗議活動を主導する野党や参加者は、安保法案に「戦争法案」というレッテルを貼り、「戦争ができる国になる」、「だれの子どもも殺させない」、「集団的自衛権はいらない」と書かれたプラカードや横断幕を掲げ、「戦争法廃案」を叫び続けていた。そのなかでも驚かされたのは「アベ政治を許さない」と黒や赤の太字で「アベ」を強調するように書かれたプラカードの多さだった。

定着してしまった「アベ政治を許さない」

 長期政権となった第2次安倍政権は12年12月にスタートする。持病の悪化が原因で短命に終わった第1次政権(06~07)以来、一貫して「戦後レジームからの脱却」を掲げてきた。その本丸は憲法改正であったが、第2次政権の発足直後から、民主党政権下で大きく動揺した日米関係の修復、強化に取り組んできた。

 しかし、前述した集団的自衛権の限定行使に限らず、政権発足直後の13年には、外交・安全保障の司令塔となる国家安全保障会議の創設と併せて議論された「特定秘密保護法」でも、賛否をめぐって国論が真っ二つに割れてしまった。

 同法は同盟国である米国だけでなく、英豪など価値観を同じくする友好国との間で重要な情報を交換するには不可欠なものだが、野党や一部メディアは「国家の情報統制」、「国民の目と耳、口をふさぐ悪法」などと非難した。

 それでも日本の外交・安全保障政策を変えた功績は大きく、首相として臨んだ衆参5回の国政選挙で勝ち続けるなど、第2次政権下で安倍氏を支持する層は拡大していった。だがその一方で、外交安保政策だけでなく経済政策などの内政問題でも賛成反対で国論が二分されることが多く、「アベ政治を許さない」は、反対する政党や安倍氏を批判する人々のスローガンとして定着していった。

 そうした賛成反対の亀裂、言い換えれば、社会の分断を決定づけたのは、17年に露呈した国有地の払い下げをめぐる疑惑に続き、財務省による決裁文書の改ざんという、いわゆる森友学園問題であり、のちに発覚した首相主催の「桜を見る会」の招待者名簿等をめぐる公文書管理の杜撰さであった。これらの問題は、安倍氏の支持者でさえあきれるお粗末さであり、批判する人にとっては許しがたい問題であったことは確かだ。

亀裂(分断)を増幅したSNSの時代

 12年の第2次政権の発足から退陣した20年を経て現在に至るまでは、ツイッターやフェイスブックといったSNS(ネット上の交流サイト)の興隆期と重なっている。

 個人が勝手に〝敵〟だと思った相手に、罵詈雑言、誹謗中傷といったむき出しの感情をぶつけるSNS。そこには、安倍氏への批判として「アベ死ね」、「うそつきは安倍のはじまり」などが次々と書き込まれ、支持者たちからは、森友学園に続き、獣医学部新設をめぐる加計学園問題の追及に時間を費やす野党や一部メディアに対し、「いつまでモリカケ、モリカケだ。国会はソバ屋じゃないぞ」などといった非難の応酬が繰り返された。

 しかも、むき出しの感情はSNS上にとどまらず、安全保障関連法案に反対する15年8月のデモでは、参加した政治学者が「安倍に言いたい。お前は人間じゃない。たたき斬ってやる」と言い放ったという。17年の都議選では、応援演説中の安倍氏に対し、何人もの聴衆が「安倍辞めろ」と声を張り上げ、安倍氏も「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と応酬、19年の参院選でも、安倍氏に対し「安倍辞めろ」のヤジがさく裂している。

 国会審議でときに安倍氏が感情的に反論し、森友学園や「桜を見る会」をめぐる問題で説明が不十分だったこともあり、第2次政権下における「安倍批判」は、政権の長期化に比例するように増幅していった。一般市民が首相を「アベ」と呼び捨てにし、「死ね」とののしることも、SNSを含めた言論空間、そして社会の中で放置されてしまった。


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