2024年12月6日(金)

21世紀の安全保障論

2022年9月28日

 安倍晋三元首相の国葬が9月27日、東京の日本武道館で行われた。日本史上最長期間首相を務め、世界的にも評価されたリーダーであったにもかかわらず、「賛否分かれる中での実施」として報じられ、会場近くでは反対集会も開かれた。
 これは、英フィナンシャル・タイムズ紙から「経済と外交において並外れたレガシーを残した」と評され、各国の首脳から弔意が寄せられた世界での見られ方とは大きく異なる(「安倍晋三元首相の国際的評価から学ぶべきこと」岡崎研究所)。
 さらに、銃撃事件発生直後から危惧されていたSNSを中心とする言論空間での世論の分断と、そこで起きた憎悪を容易に個人へとぶつけてしまう社会が深刻化する可能性もはらむ。たしかに、国葬実施や莫大な費用の決定過程での問題と言える部分があったかもしれないが、一時の感情に流されず冷静に安倍元首相の功績を振り返るとともに、今後あのような凄惨な事件を起こさないために何が必要か考える必要があるのではないだろうか。
 そこで、2022年7月19日に本サイトで掲載した記事を再掲する。

 いまだ続くコロナ禍で、私たちは嫌というほど社会、そして言論空間の歪みを目撃してきた。その歪みが増幅される中で、安倍晋三元首相は7月8日、参議院選挙の遊説中に凶弾に倒れ、突然命を奪われてしまった。

安倍元首相への罵詈雑言が今回の事件につながったとも言える(2015年7月、Natsuki Sakai/アフロ)

 岸田文雄首相は「卑劣な蛮行は断じて許せるものではない」と語り、非業の「死」を伝える新聞各紙には「民主主義の破壊許さぬ」(朝日)、「民主主義への愚劣な挑戦」(毎日)、「卑劣な言論封殺 許されぬ」(読売)、「許されざる蛮行」(日経)との見出しが並んだ。もちろんその通りではあるのだが、「民主主義に対する」という言葉に違和感を覚えるのも事実だ。その「解」について考えてみたい。

国論を二分する政治課題に挑んだ安倍元首相に「反対と怒号」

 筆者が読売新聞の記者として初めて安倍氏を取材したのは、2004年12月であった。その年は自衛隊の創設50年という節目であり、自衛隊のイラク派遣にはじまり、北朝鮮の核とミサイルの脅威に直面し、ようやく有事法制の制定にこぎつけた年でもあった。1時間に及んだインタビューを通じて、自民党幹事長代理(当時)だった安倍氏の思いの強さと歯切れの良さは、今でも鮮明に記憶している。

 なかでも日米同盟強化については「政治には大きな宿題がある。(中略)集団的自衛権が行使できて初めて、日米は対等なパートナーになることができる」と語り、「それは国家の存亡にかかわる政治課題だ」と言い切った。持っているが行使できないとする集団的自衛権への危機感が随所ににじみ出たインタビューであり、紙面(04年12月22日朝刊)の見出しも「政治の宿題 集団的自衛権 解決急務」となった。

 それから10年余りを経た15年9月、安倍氏は首相として〝解決急務な政治の宿題〟を自らやり遂げることになる。思いの強さを結実させた結果だが、集団的自衛権の限定行使に踏み込んだ安全保障関連法をめぐり、国論は賛成反対で二分されてしまった。

 今でこそ、米中対立など激変する安全保障環境に直面し、日本が限定的であっても、集団的自衛権を行使できることについて、読売新聞の世論調査(21年5月)は、「評価する」47%、「評価しない」41%で、朝日新聞の世論調査(20年11月)でも、「賛成」46%、「反対」33%という数字が示されている。

 だが、同法成立当時(15年9月)の世論調査(読売)では、「評価する」は31%、朝日の調査でも「賛成」は30%に過ぎなかった。「評価しない」と「反対」が過半数を超える中で、安倍氏は「国家の存亡にかかわる政治課題」に挑み、全国各地で繰り広げられた法案に反対するデモと怒号を超えて信念を貫き通した。そして最近の数字は、それが多くの国民に評価され、決して誤りではなかったことを物語っている。


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