世界の海運業界を支えるのは陽気でタフなフィリピ―ノ
7月16日。予約していたマニラ市内のホステルに投宿。マニラ市内のホステル(一部屋に2段ベッドが並んでいるドミトリータイプ)は1泊900円~1000円が相場であったが、一軒だけ760円と格安だった。しかもマニラ中心部へ直行する地下鉄の駅まで徒歩7分だったので予約した次第。
6日間連泊したが客層は大半がフィリピン男子(フィリピ―ノ)で数人ほどのフィリピン女子(フィリピーナ)がいた。外国人は放浪ジジイ以外にメキシコ男子と黒人系シンガポール女子のカップルのみ。ホステルの受付嬢によると雨季の夏場はシーズンオフであり外国人観光客は稀有らしい。
フィリピン国民の平均年齢は23歳(参考までに日本は46歳)というが、ゲストハウスの客層を見ると一目瞭然。男子は公務員志望でソーシャルワーカーとして市役所で見習い(internship)をしている新卒のお兄さん以外は全員船乗り(seaman)であった。
ちなみに見習い君は残念ながら不採用を宣告されて悄然と宿を去った。若年失業率が高いフィリピンでは公務員は羨望の職場だと張り切っていたのだが。そして女子はお手伝いさん(house keeper)や子守(babysitter)といったところ。
ゲストハウスの船乗りたちのシーマンシップ(船乗り気質)
船乗りたちは一様に元気で明るい。赤銅色に日焼けした陽気な彼らは日本の風変わりな老人に興味津々に話しかけてくる。横のベッドで寝ていた若者は米国ビザが下りるのを待っており、日がな1日ベッドでヒップホップを聞いている。「1週間近く毎日毎日今か今かと会社の事務員からの吉報を待っている。ビザが下り次第米国西海岸に飛ぶことになっているのさ」。数日後の朝いつもの音楽が聞こえないと思ったら、彼のベッドが空になっていた。
ミンダナオ島出身のお兄さんは同郷の幼馴染みと結婚して、まだ新婚1カ月。欧州~北米~中南米を回る定期航路のコンテナ船の乗組員でEUのビザ待ちだった。「次に彼女に会えるのは早くて来年の春頃かな」と照れくさそうに笑っていた。外国航路の一般的勤務は9カ月乗船、3カ月休暇というサイクルだというが、おそらく新郎君も同様なのであろう。
ビサヤ出身の船乗りはギターの弾き語りで暇を潰していた快活な好青年だ。不定期(tramp)の一般貨物船(general cargo ship)で日本、中国、東南アジア、中東あたりを航海している。寄港地の上陸ビザがなかったり、或いは書類上の不備があると上陸できなくなるのでビザ待ちは船乗りにとり不可避(inevitable)だと説明してくれた。
その他に船が寄港している外国の都市へのフライト待ちのため一両日ホステルに短期逗留する船乗りもいた。
フィリピン人船員が支える世界の海運物流
思い返すと、今まで世界各地でフィリピン人船員に遭遇してきた。ベトナムのホーチミンのビアガーデンではベトナム米を積み込む貨物船のフィリピン人船員たちとビールを飲んだ。名古屋港ではフィリピン人船員が鋼材の積み込み作業をしていた。その他、天津、ロッテルダム、サンディエゴなどなど。
イランの国営タンカー会社のロビーにはイラン・イラク戦争中にペルシア湾でイラクのミサイル攻撃により死亡したタンカー乗組員の肖像写真が飾られていた。イラン人についでフィリピン人船員の数が多かったと記憶している。戦時ボーナス目当てに正に命懸けの航海だったのだ。
2019年のジェトロのレポートによると世界の外国航路の船員120万人の内、フィリピン人は23万人と最多。つまり5人に1人はフィリピン人というわけだ。男性船員のみならず豪華客船に乗組んでいるフィリピン女性も多数いることも忘れてはいけない。
EU・EEA(欧州経済領域)船籍の商船には8万人のフィリピ―ノが乗り組んでいるという。さらに日本郵船、商船三井、川崎汽船などの日系商船の乗組員5万6000人の内70%はフィリピン人とのこと。まさにフィリピ―ノなしでは世界の海運業は成り立たない状況である。特に日本はフィリピ―ノ依存度が高い。