2024年7月18日(木)

この熱き人々

2013年6月27日

 モノ造りの技能が見直される時代に進み、社内にマイスター制度が誕生したとき、橋場はすでに50歳。ライン管理者を経て後進の指導にあたっていたのだが、マイスターを取得するように会社から命じられた。引退して監督になっていたのを、いきなり現役選手に復帰しろというようなものである。そのためには、時計修理技能士の国家検定試験をクリアしなければならない。ブランクを考慮して2級からの受験を勧めた会社に、橋場は1級を受験すると宣言した。過酷な時を生き抜き、自らを一流に仕上げていった職人のプライドが、「大丈夫か?」という問いに、きっぱり「大丈夫です」と答えさせた。

 「言った以上、絶対受かるしかない。実技は自信があったけど、問題は学科試験ですよ。オームの法則って何だっけ? って感じですからねえ」

 子育て試練を乗り越えた後で、学科試験の試練。8時から5時まで会社の仕事をし、それから夜9時まで北方工場の時計学校で講師として教えながら自らも猛勉強。

 「50歳になってからの受験勉強はしんどい。もっと若いうちに受けさせてよって言いたかったですよ。でも、長い間、女性は働き蜂だったし、女性には無理って思われてきたからね。今は、産休と育休で1年休めるようになったし、技能を評価してもらう道もできたし、時代が変わって女性にとってはありがたいですよね」

漆のフェイスにこぼれるような星が輝く「カンパノラ」シリーズの「天満星」

 すでに定年を過ぎたが、再雇用で「カンパノラ」「ザ・シチズン」と高級時計の手組立を担当している橋場は、目を休ませるためにテレビはほとんど見ない。夜は9時半就寝、朝は4時20分起床。1年365日、ほとんど同じだという。

 「一応4時半に目覚ましをかけるけど、10分前には必ず目が覚めるの。体内に時計があるみたいで、目で時計を見なくても出社時間も1分ぐらいしか誤差がないんです」

 規則正しい生活が自分には必要だと思うから、と橋場は笑った。工房で見せてもらった新品のような工具に刻まれた名前は旧姓だった。仕事が終わったら、必ず工具類を丁寧に磨いてきたという。職人の魂が、そこに確かな光を放っているように感じられた。

(写真:佐藤拓央)

橋場悦子(はしばえつこ)
1952年、長野県生まれ。67年、平和時計製作所(現シチズン平和時計)に入社、腕時計の組立に携わる。05年、同社のライセンス制度において時計組立の最高技能をもつ初のスーパーマイスターに認定される。06年には「信州の名工」に。09年に「現代の名工」表彰者となった。

◆「ひととき」2013年6月号より

 

 

 

 
 

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