2023年2月5日(日)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2023年1月25日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

 そこで、その代わりだろうか。研究書としては場違いと思えるアジテーション――やや皮肉を込めて表現するなら、「中華民族の偉大な復興」への応援歌、いや「拍馬屁(ヨイショ)」――が書き連ねられている。

「産児制限政策を完全に撤廃せよ。なぜ躊躇しているのだ」

「わが国の計画出産という公共政策を『人を本とする』本来の姿に立ち還らせ、人民に出産選択の権利を与えよ」

「中国の人口の長期にわたる均衡ある発展を保障することで、人口と社会経済、資源と環境の調和のとれた持続的発展が保証できる。こうしてこそ、21世紀が真の中国の世紀となりうる。世界の強国に伍し、長きに亘って成長し衰えることのない立場に立てる。中国の人口政策を徹底して解放せよ。いまや多産を奨励する時に立ち至った」

 そして「可及的速やかに現行産児政策を転換しないかぎり、中国は将来、子供の数が最も早い速度で減少する国家の1つになってしまう」と危機感を前面に押し出した後、「中国人は多く生まれているわけではない。いや、むしろ少なすぎる。中国人は多く産むことができる! もっと、もっと、より多く生まれるべきだ!」

権力闘争にもなった人口施策

 1949年10月の建国後、本格的に産児制限を主張したのは北京大学学長の馬寅初(1882~1982年)だった。1907年に米国に留学した彼はマルサスの人口論を中国に持ち帰り、社会経済発展にとっては人口抑制が必要であることを説いた。

 57年7月3日、第1回全国人民代表大会(第4次会議)に「わが国の人口増加の速度は速すぎるから人口を抑制すべき」との主張を書面で提出した。7月15日になると『人民日報』に、(1)人口政策を国策の重要課題に組み入れ、(2)晩婚少子の利点を宣伝・教育し、(3)国民の生活に干渉し、出産の権利を制限し、(4)徴税方式によって多産に制限を加える――などを骨子とする「新人口論」を発表した。

 当時、反右派闘争の吹き荒れていた時期であり、加えて「新人口論」は毛沢東の説く「人口資本説」に反することから、馬の主張は毛沢東を批判する「新マルサス人口論」と糾弾される。その結果、北京大学学長を解任され、遠く故郷の浙江省紹興に事実上幽閉された。もちろん文革に際しては、紅衛兵から激しく糾弾されることになる。

 口を消費、手を生産力に喩える毛沢東は、「1人増えれば、口は1つだが手は2本増える。1人増えれば生産力は2倍になる。だから人口増は生産力増強の武器だ」と捉え、人口の増加は産業の発展を促し、経済力増強に寄与するとの「人口資本説」に基づいて人口抑制を戒め、多産を奨励した。

 馬寅初の主張が否定されて以後、共産党政権は「人口資本説」に従った人口政策を79年まで継続することになるのだが、出版時期から判断して、『中国人太多了嗎? TOO MANY PEOPLE IN CHINA?』は習近平政権発足を見越しての、毛沢東の「人口資本説」の焼き直しバージョンと位置づけてもよさそうだ。

 その後、経済発展と共に人々の生活レベルが向上し、一人っ子政策の見直しが始まり、2015年から21年までは「1組の夫婦で子供2人まで出産可」となり、21年8月になると「1組の夫婦で3人目の子供の出産可」となるなど、習近平政権は多産の方向に大きく舵を切った。だが、現に伝えられる限りの中国社会を取り巻く環境から判断して、少子化と高齢化の動きを逆転させる妙案は、素人目で見ても見当たりそうにない。

 どうやら2期10年の習近平政権で航空母艦を建造し、月の裏側を探査する技術力は備わったものの、子供を増やす環境を整えることは容易ではなさそうだ。もっとも少子高齢化問題に関しては、「異次元」の口先介入に止まりかねないわが国であればこそ、余り発言権はなさそうではあるが。


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