2024年11月22日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2023年1月25日

 そこで、その代わりだろうか。研究書としては場違いと思えるアジテーション――やや皮肉を込めて表現するなら、「中華民族の偉大な復興」への応援歌、いや「拍馬屁(ヨイショ)」――が書き連ねられている。

「産児制限政策を完全に撤廃せよ。なぜ躊躇しているのだ」

「わが国の計画出産という公共政策を『人を本とする』本来の姿に立ち還らせ、人民に出産選択の権利を与えよ」

「中国の人口の長期にわたる均衡ある発展を保障することで、人口と社会経済、資源と環境の調和のとれた持続的発展が保証できる。こうしてこそ、21世紀が真の中国の世紀となりうる。世界の強国に伍し、長きに亘って成長し衰えることのない立場に立てる。中国の人口政策を徹底して解放せよ。いまや多産を奨励する時に立ち至った」

 そして「可及的速やかに現行産児政策を転換しないかぎり、中国は将来、子供の数が最も早い速度で減少する国家の1つになってしまう」と危機感を前面に押し出した後、「中国人は多く生まれているわけではない。いや、むしろ少なすぎる。中国人は多く産むことができる! もっと、もっと、より多く生まれるべきだ!」

権力闘争にもなった人口施策

 1949年10月の建国後、本格的に産児制限を主張したのは北京大学学長の馬寅初(1882~1982年)だった。1907年に米国に留学した彼はマルサスの人口論を中国に持ち帰り、社会経済発展にとっては人口抑制が必要であることを説いた。

 57年7月3日、第1回全国人民代表大会(第4次会議)に「わが国の人口増加の速度は速すぎるから人口を抑制すべき」との主張を書面で提出した。7月15日になると『人民日報』に、(1)人口政策を国策の重要課題に組み入れ、(2)晩婚少子の利点を宣伝・教育し、(3)国民の生活に干渉し、出産の権利を制限し、(4)徴税方式によって多産に制限を加える――などを骨子とする「新人口論」を発表した。

 当時、反右派闘争の吹き荒れていた時期であり、加えて「新人口論」は毛沢東の説く「人口資本説」に反することから、馬の主張は毛沢東を批判する「新マルサス人口論」と糾弾される。その結果、北京大学学長を解任され、遠く故郷の浙江省紹興に事実上幽閉された。もちろん文革に際しては、紅衛兵から激しく糾弾されることになる。

 口を消費、手を生産力に喩える毛沢東は、「1人増えれば、口は1つだが手は2本増える。1人増えれば生産力は2倍になる。だから人口増は生産力増強の武器だ」と捉え、人口の増加は産業の発展を促し、経済力増強に寄与するとの「人口資本説」に基づいて人口抑制を戒め、多産を奨励した。

 馬寅初の主張が否定されて以後、共産党政権は「人口資本説」に従った人口政策を79年まで継続することになるのだが、出版時期から判断して、『中国人太多了嗎? TOO MANY PEOPLE IN CHINA?』は習近平政権発足を見越しての、毛沢東の「人口資本説」の焼き直しバージョンと位置づけてもよさそうだ。

 その後、経済発展と共に人々の生活レベルが向上し、一人っ子政策の見直しが始まり、2015年から21年までは「1組の夫婦で子供2人まで出産可」となり、21年8月になると「1組の夫婦で3人目の子供の出産可」となるなど、習近平政権は多産の方向に大きく舵を切った。だが、現に伝えられる限りの中国社会を取り巻く環境から判断して、少子化と高齢化の動きを逆転させる妙案は、素人目で見ても見当たりそうにない。

 どうやら2期10年の習近平政権で航空母艦を建造し、月の裏側を探査する技術力は備わったものの、子供を増やす環境を整えることは容易ではなさそうだ。もっとも少子高齢化問題に関しては、「異次元」の口先介入に止まりかねないわが国であればこそ、余り発言権はなさそうではあるが。


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