軍隊という特殊な集団の本質
本書の書評として著名なのは三島由紀夫のもので、「軍人の書いた文章と思えぬほど、見事な洗練された文章であり、淡々たる叙述のうちに哀切な抒情がにじみ出てくるのも心憎く、立派な一篇の文学である」「ここ十年ほどの間で、もっとも感銘を受けた『私の人生の本』といえば、この本をあげなければなるまい」とまで書いている。
さらに三島は言う。青年将校たちは当時、上官からちやほやされ、こわもてしたが、それは彼らに利用価値があったからだ。しかし、同時に彼らが軍隊という特殊な集団のモラリティー(士道)を体現すると目されたからでもあった。軍隊には立身出世主義も功利主義もあるが、最後に残る本質的特徴はモラリティー(士道)しかない。
そして、その行動倫理としての実現可能性は当時、何をするか分からないとして危険視されていた青年将校たちにしかないことを上層部も認めざるを得なかったのだ。だから、軍上層部の心理としては、彼らを利用することと、彼らに憧れることは同義語であった。実は社会一般においても、上層部が道徳的自己疎外から、立脚すべき真のモラリティー保持者を求めて動揺する時、彼らは隠密に何ものかを利用しようとしつつ憧れることになるのだ、と。
本書には、こうした三島の青年将校論とともに、現在入手しがたくなった末松の「赤化将校事件」「青森連隊の呼応計画」などの論考や橋川文三の本書論も加えられており、昭和史のみならず、広く政治と人間のあり方を問おうとしている人に強く勧めたい書である。
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「人が死ぬ話をするなんて、縁起でもない」はたして、本当にそうだろうか。死は日常だ。その時期は神仏のみぞ知るが、いつか必ず誰にでも訪れる。そして、超高齢化の先に待ち受けるのは“多死”という現実だ。日本社会の成熟とともに少子化や孤独化が広がり、葬儀・墓といった「家族」を基盤とするこれまでの葬送慣習も限界を迎えつつある。そのような時代の転換点で、〝死〟をタブー視せず、向き合い、共に生きる。その日常の先にこそ、新たな可能性が見えてくるはずだ。
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