商店街での会話を取り戻す
こうしてみると、かつて商店街はオルデンバーグの挙げた8つの定義に適うサードプレイスだった。そこをサンダルばきで訪れれば、顔なじみの店があり、店主や店員との会話があった。彼らの間には売り買いの関係性だけにとどまらず、同じまちで生きる市民としてつながりもあった。
また、偶然居合わせた客どうしもたわいない会話に花を咲かせ、家庭や職場では言えない愚痴を言いあってリフレッシュすることも日常の風景だった。子どもたちにとっても商店街は放課後の遊び場であり、そこで社会のルールを学んだ。日々の買物の場である以外に、商店街にはサードプレイスとしての存在理由があったのだ。
日本でも米国と同じようにモータリゼーションとニュータウン開発による郊外居住が進み、買物の場はクルマでアクセスしやすい郊外へと移って久しい。郊外の幹線道路沿いには全国チェーンの大型店が立ち並び、初めて訪れた者にも既視感ある風景が広がる。そこでの買物は便利で品揃えも豊富かもしれないが、買物に関わる以外の会話はない。
さらに郊外には大型のショッピングモールが次々と生まれ、ほとんどの買物とレジャーを取り込んでいった。その過程で市街地は郊外へと広がり、移動にはクルマが欠かせない社会構造となっている。
そうなると、道路をはじめさまざまな社会インフラを整え、維持していていかなければならない。もちろん、無料ではない。人口減少と高齢化が進む日本にとって、それは過分な出費となっている。
サードプレイスとしての商店街再生――。そこにはわが国が抱える危機を解決する糸口がある。その糸は細いかもしれないが、案外強くてしなやかかもしれない。そして、商店街の存在意義もそこにある。商店街も変わらなければならない。