2024年11月21日(木)

良い失敗 悪い失敗

2023年3月4日

 未知の世界に飛び込む、冒険心の欠如は、ベンチャー企業を興すなど起業家が少ないことにも通じる。失敗を極端に恐れる文化、さらには身近に起業家が少ない、さらにはそうした起業家精神を養う教育が欠如しているためであろう。

 国内外を問わず、ベンチャー企業家には、博士号取得者が少なくないことがよく言われている。大学入学間もない学部生のころから、アントレプレナーシップ(起業家精神)に触れる教育が必要ということだろう。

 その意味でも、国際的視野を持ち、起業家精神を持った大学院教育がぜひとも必要だ。これは大学内だけで賄うのは土台無理である。企業や、ベンチャー企業と連携しながら、教育に当たる視点がますます求められている。

研究も重要だが、人を大事に

 ここ数年、日本の科学技術力の低下が叫ばれ、危機感が漂うが、2000年以降、自然科学分野のノーベル賞受賞者の数は、米国に次いで多い。決して、基礎研究の底力がないわけではない。自信を失うことではない。

 しかし、各国が国際競争力を高めるため、科学技術予算を積み増していることは事実である。そうした中、政府が21年度末に打ち出した10兆円規模の「大学ファンド」は、ある意味、画期的な政策である。ファンドの運用で生み出された3000億円を、24年以降「国際卓越研究大学」に指定された数校に1校当たり数百億円を配分する方針だ。

 配分された大学では、博士課程学生やポスドク、あるいは若手教官らに経済的支援をし、研究を加速させることになるだろう。その意味では期待したいところだが、「選択と集中」からこぼれた大学への目配りも忘れないでほしい。人材はそういうところにも眠っている。

 科学研究費の「競争的資金」などは、一部の大学には潤沢な資金となったが、そうでない大学は本当に苦しい。潤沢になった大学も、自転車操業のように資金を獲得しなければならず、余裕を失っているとの声も大きい。研究は、数多くの失敗を重ねる、ある意味、余裕がある中で、セレンディピティ(偶然の発見)に出会うことである。

 過度な選択と集中は、研究大学にも、教育に重きを置く大学にも何らメリットはない。今年に入って、文部科学省は、デジタル、脱炭素など成長分野の人材を育成する理工農系学部を増やすため、私立大と公立大を対象に約250学部の新設や理系への転換を支援する方針を打ち出した。

 日本には、理系人材育成が停滞し、大学で理系を専攻する学生は経済協力開発機構(OECD)平均の27%より低い、17%にとどまる。今後10年をかけ、文系学部の多い私大に理系学部を設置させる方針で、3000億円の基金を創設し、1校当たり数億円から20億円援助するという。優秀な理系学生は、工学部、理学部、農学部ではなく、医学部に進学するという最近の傾向も心配だ。理工農系学部の魅力をアピールすることも大事である。

 高度研究を推進するため、選択と集中を実行し、一方で理系人材の底上げを広く行う。極めて難しい課題に取り組もうとしているが、大事なのは本当に有為な人材を育てる強い意志であり、ぶれない政策である。それには国だけに任せるのではなく、大学、民間企業、さらには初等・中等教育関係者を含め、社会全体で考えることが欠かせない。

 科学技術力を向上できるか、否か瀬戸際である。

 
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