5歳の時に交通事故により右足を切断。以後2年間は車いすの生活を送る。
「僕は小さい頃に足を失っているので無いのが当たり前だと思っています。この生活に慣れてしまいました」
「無くした記憶も残っていないんです。5歳の頃ですから、以前には出来たことが、今は出来なくなったというのは、ほとんどありません」
右足を失ったばかりの頃は、まだ幼くサッカーがどんなものか知らなかったが、テレビで見るようになり、ルールを理解するうちに実際にやってみたいと思うようになった。サッカー王国ブラジルで遊びといえば、やはりサッカーなのである。友人や家族など周りにもサッカー好きが溢れていた。
エンヒッキも「どうにかいっしょに遊べないか?」と思う反面、周囲といっしょに楽しくやれる自信がなかった。
「あの頃はサッカーというよりも、みんなといっしょに遊びたいという気持ちだけです。そのうちに僕もやりたい、やりたいという思いがどんどん強くなっていきました」
そしてエンヒッキは10歳でクラッチを持ってサッカーを始めた。
ブラジルでは30年前からアンプティサッカーが行われていたが、サンパウロにはチームがなく、健常者に交じってプレーするしかなかった。
「いつかみんなと同じようにやりたいし、試合に出たいと思いながら、はじめは友達と二人でパスをしたり、壁にボールを蹴ったり、シンプルなことをしていました。僕がまだ小さかったから、周りからは出来ないと思われたり、足もないのに怪我したら危ないと思われていたんだと思います。みんなが気を使ってくれたのは理解していましたが、それが悔しくて、負けたくないという気持ちが大きくなっていったのです」
限られた中でしか自己表現の場がなく悶々としながら数年が経った。そんなエンヒッキに突然チャンスが訪れた。
これが競技者へと人生の舵を切る転機となっていく。
初出場の大会で新人賞獲得
「13歳のときに初めてアンプティサッカーのブラジル大会に出場することになったんです。他競技の選手たちたちが集まって「楽しければいいんだ。とりあえず出てみよう」と、この大会に出るために作られたチームでした」