2024年5月28日(火)

都市vs地方 

2023年6月2日

 第2次大戦後、日本人が引き揚げた後は中国大陸から移ってきた地質古生物学の馬廷英氏がここに住んだ。「日本の大学で学んだ経験を有する馬氏がこの家を大切に扱ったおかげでこの家が残った」と黄さんは説明する。

 馬氏の死後、だいぶ時が経ってから、台北市がこの家を国立台湾大学日本様式職員住宅として文化財指定し、カフェレストランとして2011年にリニューアルオープンした。

「ものを残して歴史を伝える」

 黄さんに「台湾の人たちは日本統治時代の建物を残すことに抵抗はないのですか」と率直に聞くと「ものを残せば歴史が残ります。ものを壊してしまうと歴史が残りません」と強く語った。「この家は日本から台湾に知識を伝えた人が建て、戦後、大陸から渡ってきた人が住みました。これが台湾の歴史です」と話す。

日本家屋保存の意義を語る黄さん(右)

 黄さんは淡々と話すが、台湾の人たちは支配者が変わることによる悲惨な歴史をもっている。台湾総督府の近くに二二八和平公園という大きな公園がある。これは、二・二八事件という1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、当時の中華民国政権と台湾の人々との対立抗争事件を記念する公園である。

 45年に第2次大戦が終わり、日本軍の武装解除は蔣介石国民政府主席が率いる中華民国政権が行った。台湾にも多くの軍人や官僚が中国本土から進駐し台湾の軍事・行政を引き継いだ。そういうなかで闇タバコを販売していた台湾人女性に対し取締の役人が暴行を加える事件が発生し、それに対する抗議デモと憲兵隊の発砲等による対立が激化し中華民国政権は中国から援軍を派遣し、武力でこれを鎮圧し多くの台湾市民が殺された。

 49年に中国本土に共産党政権が樹立され蒋介軍と関係者が台湾に逃れてきたこともあり、このときの戒厳令はその後38年間継続した。事件の再調査が行われたのは李登輝体制になってからである。「二二八和平公園」という名が付き、事件資料を展示する二二八国家記念館ができたのは1996年である。

 黄さんは、「日本家屋の保存運動は時間との戦いです」と現状を話す。「私は若い時、このまちのマンションから日本家屋の屋根を見下ろしていました。その頃は日本家屋の意味がよくわかっていなかった。今は歴史を勉強して、これが台湾の歴史のひとこまだと知っています。100年経った木造の日本家屋が朽ち果てて、次々と壊されていきます。歴史を伝えなければいけないと思い立って保存運動を始めました」と語る。

 2023年現在、台北市が旧昭和町に登録した日本家屋の文化資産は23軒ある。黄さんたちがつくった地図では約100軒くらいあったという。黄さんは「朽ちかけた家を再建し、カフェやギャラリーにするためには日本円にして1億円から2億円かかります。お金が必要です」という。

朽ちていく日本家屋の一つ

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