2023年12月8日(金)

都市vs地方 

2023年6月2日

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青山 佾 (あおやま・やすし)

明治大学名誉教授

1943年生まれ。67年東京都庁経済局に入庁。高齢福祉部長、計画部長、政策報道室理事を歴任。99~2003年に石原慎太郎知事のもとで副知事。専門は自治体政策、都市政策、危機管理、日本史人物伝。『東京都知事列伝 巨大自治体のトップは、何を創り、壊してきたのか』(2020年、時事通信出版局)、『世界の街角から東京を考える』(2014年、藤原書店)など。

 保存された日本家屋の中には、ドイツのカメラメーカーであるライカのマークがついているものがあり、ライカ社が資金を提供したらしい。ライカ社のエルンスト二世がナチス政権下において多くのユダヤ人の命を救った歴史があるが、そういう志が台湾でも表れているというべきなのだろうか。

日本人が知るべき複雑な台湾の〝起源〟

 私たちは有志で後藤新平の会をつくっていて、毎年、後藤新平の思想や実績に共通する業績を挙げた方に後藤新平賞を与えている。第1回の2007年は台湾の李登輝元総統に賞を授与した。

 いくつもの政治的な困難をクリアして李登輝氏の来日が実現し、受賞に伴うスピーチも頂いた。そのとき李登輝氏は後藤新平に関して「台湾は日本の植民地だった時代があるが、それが台湾近代化の契機となったことも事実である」と話した。

 筆者は『小説後藤新平』(学陽書房)を書いた1997年以来、毎年のように台湾を踏査している。植民地の象徴であった総督府は総統府として残し、その隣には当時の台湾銀行の建物が残されている。

 総統府の1階にある歴史展示は数年ごとの内容が変わるが、後藤新平の紹介がされていたこともある。高雄の博物館でも後藤新平の業績が紹介されている。

 台湾の一般書店で売られている書籍で「日本統治時代の台北の上下水道は当時の日本のそれより立派に整備されていた」などという記述を見ることもある。植民地の宗主国であった日本に対する台湾の人々の感情は複雑だとは思うが、少なくとも台湾近代化の歴史を記憶に留めようとする姿勢を感じることは多い。

 現在の台湾では漢民族が9割以上を占めているが、もともと台湾には先住民(16民族、台湾政府認定)がいて台湾の言葉はオーストロネシア語族が元であるといわれ、考古学的にも新石器文化は台湾からフィリピン、インドネシア方面へ拡大していったとする説が有力である。ポルトガルやオランダの植民地だったこともある。

 日清戦争後に日本の植民地となったが、黄さんは「第2次大戦が終わり30万人の日本人が引き揚げ、そのあとに100万人が大陸から台湾に渡ってきたのです」という。私たち日本人は台湾がそういう歴史を経験していることを念頭におかなければ台湾の問題を理解することはできない。

   
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