2022年10月6日(木)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2022年8月26日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

 8月2日のナンシー・ペロシ米下院議長(民主党)一行に引き続き、14日夜には民主党のエドワード・マーキー上院議員(上院外交委員会東アジア太平洋小委員会委員長)が率いる超党派議員団5人が電撃的に台湾を訪問した。さらに21日にはインディアナ州のエリック・ホルコム知事(共和党)が台湾に到着し、22日に蔡英文総統と会談するなど、米国政界の台湾に対する関心の高さが、改めて内外に強く印象づけられた。

(ロイター/アフロ)

 ホルコム知事は「長年にわたる関係を強化するための訪台」と語っているが、台湾問題に対する米国の一連の積極姿勢が「台湾は中国民主化のためのテコ」と位置づけ、それゆえに「台湾の民主主義の後ろ盾」であり続けようとする米国の固い決意に裏打ちされている。同時に、世界の覇権を目指し膨張を続ける中国を押さえ込もうとする強固な国家意思に下支えされていることも、紛れもない事実だろう。

 いまや米中両国は国際政治の力関係に基づき、互いが台湾を挟んで、その向こう側に身構える難敵を見据える。半世紀昔に北京で実現したニクソンと毛沢東の米中両首脳による握手が、まるで一幅の戯画に変じてしまったようだ。

 このように緊迫した状況を前に、日本でも習近平政権による台湾に向けた挑発的で尊大で強硬な振る舞いに対し、多くの国民が強い懸念と警戒感を抱く。もはや以前のように「子々孫々までの友好」などといった世迷い言を口にする日本人はいないだろう。たとえ今年が日中国交正常化50周年に当たるとしても、である。

 だが、だからといって時の勢いのままに両手を挙げて米国の姿勢に同調することには躊躇いを覚える。それというのも、日本と台湾との結びつきは米国とは異なっているからである。1895年から1945年までの半世紀、台湾は日本だったのだ。

終戦後、日本から台湾へ帰った青年の言葉

 現在、葉山達雄を知る日本人は皆無に近いだろう。だが、彼が人生の一時期を正真正銘の日本人として雄々しく生きた台湾人であったことを、敢えて記憶に留めておきたい。以下、彼の親友であった楊威理『ある台湾知識人の悲劇  中国と日本のはざまで 葉盛吉伝』(岩波書店 1993年)に基づく。なお《 》は同書に収められた葉山の日記である。

 1923(大正12)年に台北で生まれた葉山は仙台の第二高等学校に進学し、同校明善寮で日本の若者としての青春を送る。敗戦1年前の44(昭和19)年7月19日の日記に《今にして、二高生を除いて日本をこの危局から救うものはない。明日行われる生徒大会こそ、実に日本精神史に特記すべき日となろう。本当の日本は明日を期して生まれ行くのだ》と綴った。この瞬間、葉山は紛れもなく第二高等学校明善寮寮生であり、「本当の日本」を熱く希求していた。

 それから9カ月が過ぎた45(昭和20)年4月、東京帝国大学医学部に進む。だが僅か4カ月後には日本は敗戦に至り、葉山が望んだ「本当の日本」は幻と消え、台湾人・葉盛吉に還っていった。

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