「美しい花がある。〝花の美しさ〟という様なものはない」と小林秀雄は言い、それを受けて俳人の森澄雄氏は、花の命に出会わないで、花の美しさを描いてはいけない。発見の手柄をもう一度自然に返すのだと述べている。
なるほど私たちは花を詠むとき、その美しさを描こうとするあまり、命を素通りしてはいないだろうか。花が〝発見の手柄〟を誇示する手段になってしまってはいないだろうか。
万葉歌にみる花と人との関係は、現代のそれと大きく異なる。万葉人は〝手柄〟ということさえ意識していない。李御寧(イオリヨン)氏は著著の中で、日本人は花を見るにも剣を佩(は)いた侍のような構えがあると書いているが、万葉の頃の日本人にはそのような構えは見られない。
物部(もののふ)の八十少女(やそをとめ)らが汲みまがふ
寺井の上の堅香子(かたかご)の花
(大伴家持 巻十九ー四一四三)
宮中の若い女性たちが寺に湧く泉で水を汲んでいる。当時水汲みは女性の仕事であった。春光の中で水を汲みながら少女たちはおしゃべりに花を咲かせているに違いない。堅香子は片栗の花のこと。俯(うつむ)きかげんに咲く可憐な花だ。群れて咲く愛らしい堅香子と少女らがいつしか重なり一体となる。
春の苑紅(そのくれなゐ)にほふ桃の花
下照(したで)る道に出(い)で立つ少女(をとめ)
(大伴家持 巻十九ー四一三九)
樹下美人図を言葉で描いたような一首。桃の花明かりに立つ少女は既に総身桃色に染まっている。少女を置くことで桃の花もまたいっそうの輝きを放ち、映発する。
家持は初恋の女性を撫子(なでしこ)に喩(たと)えた。若くして亡くなった妾(おみなめ)である。自分が死んだ後は庭の撫子を愛でてくださいと言い遺した妾だ。以来家持は撫子を愛し、たくさんの歌に詠んだ。撫子をよすがに妾を愛し続けたのだ。毎年瑞々しく咲き出でる撫子は、決して年老いることのない妾そのものであった。撫子を詠むことはすなわち妾を詠むことなのだ。堅香子や桃の花も然り。そこにはもはや〝花の美しさ〟などという小賢しさはない。命そのものである。
詩人は花を詠み、歌という器に花の命を掬(きく)す。花は詩人の愛の対象になりきり、彼らの悲しみや喜びに寄り添い、歌と詩人を彩る。そして花たちは、その前に佇(たたず)む私たちに、静かに万葉の記憶を語りはじめるのである。
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